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詐欺師

大詐欺師カリオストロは、実際に病を癒したという。人々の騙されたい欲望を直感的に見抜き、それに合わせることができてしまう天分があったのかもしれない。ある意味、役者でもあったのだろう。ただ、どこまで意識的に人々を騙していたのか、それは私にはわからない。無意識的に行っていたのかもしれない。

無意識的に詐欺行為を行うとすると、危ない。何が危ないかといえば、「バレる」。

4人いる師匠のうち1人から、私はこう言われた。

「稲垣、心理士をやるなら一流の詐欺師になれ」

一流であるということは、「バレない」ということである。“死ぬまで騙し通せ、その人が幸せになるように” 私はそう解釈した。騙すことが悪であったとしても、それは私が墓場まで持って行けば良い。それが一流であり、金を取ることであると、私は解釈した。

実際には、私は人を騙すことが上手くはない。嘘をつくことが下手である。まず、顔に出る。だから、嘘をついて騙すことは諦めた。嘘は言わず、本当のことではあるが異なる側面の情報を用いるということ。嘘は言っていないので、顔に出る率は下がる。そして、順序を組み替え、印象を操作し、流れを作り、強調点を変化させ、全体的に与える印象を複雑なものとすることを目指す。善悪美醜を単純に二分するのではなく、どちらかというとグレーの部分を強調し、だからこそ生きている手応えがあるのだ、という大まかな方向性を示す。これは私の場合、何をしゃべっていてもあまり変わらないのだろう。この技術を持って、相手を幸せになるように、死ぬまで騙せるかというと、ちょっと難しい。まだまだではあるが、ただ10年前よりは多少、マシになったとは思う。


4人師匠がいるとか何とか言っているが、その人たちは完璧な人間ではない。当たり前である。しかし、私は、それぞれがある意味“完璧”であると、騙されることにしている。それぞれの人が、それぞれのやり方で、ある部分では“完璧”であるように振る舞っている。どこかに多少無理を感じ取っても、それは無視する。「一流の詐欺師になれ」と言っているそばからその師匠も、私にバレるようなことをする。それは、意識的に無視する。私は、“騙されることによる成長”の力は確実にあると思っている。

理想的な伝説的人物について、色々書物がある。それほど昔ではなくとも、記憶になれば美化もされよう。学生から“中学時代の恩師”の話を聞けば、それがいかに美化されているか、良くわかる。しかし、実際の人物がどうであったか、ということはさほど問題ではないのだろう。それほど素晴らしい人間が実在したとすれば、それは神である。私が言いたいのは、神のような力を持つ存在は、外的世界にあるものではない、ということだ。実在の人物が神のように見えているとしたら、神のような存在と近しい間柄になりたい、という欲望が見させている幻影ではある。おそらく、心理学用語では投影と呼び、陽性転移と呼ぶのだろう。しかし、それは無意識的に投げ込むから問題なのである。どうせ投げ込むことになるのであるから、意識的に、腹をくくって投げ込んだ方がマシである。

私がその4人を師匠と呼ぶのは、鏡を借り、内的世界にあるエネルギーを見るためであった。あくまで、その触媒としてであった。4人いる師匠の、私は何を知っているか。日常生活についての情報もあるにはある。ダメなところも、どうしようもないところも知ってはいる。しかしそれでも、私は彼らを師と呼ぶことを覚悟した、というだけの話である。その姿を通して、言葉を通して、私が内的に向き合う腹をくくった、というだけである。ある意味では、恋愛に似ているのだろう。さめることを覚悟した上で、というよりもすでにさめた状態まで持って行った上で、関係を続けるようなものであろうか。


私は中学生の頃、探偵になりたかった。高校になると、占い師になりたかった。冗談で、詐欺師になりたい、と言っていたこともあった。結局、悪の意識を持って、生きていたいと思っていたのだろう。そして今、カウンセラーをやり、大学で教えたりしているのだから笑ってしまう。

<placeboという言葉はラテン語で「私が喜ばせてあげます」という意味であり、患者を騙すというよりは喜ばせてあげるものなのである。あるいは、喜んで騙されることによって患者の自己治癒力が活性化されるのである。すなわち患者の治癒への期待や願望、つまり治癒への想像力をうまいこと掻き立たせてくれる偽薬のことをプラシーボというのである。>(武野俊弥『嘘を生きる人 妄想を生きる人』)

「騙されたい人」がまた、思っていた以上に増えていた、ということなのかもしれない。だから、ある意味無意識的に、「騙してしまう人」が続出しているのかもしれない。私は新聞も読まなければテレビも見ないので、世の中に恐ろしくうとい。それでも、偽装だか詐欺だかヤラセだか何だかわからないが、ここのところ良く聞くものは、どれも同じような匂いを感じる。無意識的な騙しは、繊細さに欠ける。せめて、本気の騙しかニセモノの騙しかは、見極められるようになりたい。そもそも、本物と偽物など、紙一重である。エネルギーがあるなら、どちらでも私はかまわない。


私が求めるものは、最後まで騙し通す覚悟と技術である。

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