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アンビバレント

両価的、アンビバレントな状態というのは人間にとって基本であるのだろう。何かに迷うときというのは、AとB、どちらも同じくらい魅力的に映っているときである。そうでなければ迷うことはない。

薬物を続けることと、薬物をやめること。大量の酒を飲み続けることと、酒をやめること。異性あさりを繰り返し続けることと、おとなしく暮らすこと。リストカットをすることと、しないこと。そのような嗜癖や依存、中毒に関するもの以外であっても「迷う」ことはいくらでもある。仕事を決めるとき、結婚を決めるとき、勉強するか遊ぶかを決めるとき、仕事か友人かを決めるとき。どういうときであっても両価性は関わっている。

問題はそこで「緊急性」をとるのか「重要性」をとるのかである。これは私が繰り返し言っていることであった。基本的に「重要性」を軸にして物事を組み立てれば間違うことはない。しかし多くの場合、「緊急性」が「重要性」であるかのように見えてしまう。それが両方に価値がある「かのように」見える原因でもある。ほとんどの場合「重要度」は決定的に差があることが多い。

そして、重要性はその人が生きて来た中で培われた「生きることに関する指針」、いわば哲学によって判断される。どこかからか持ってきた借り物の哲学ではその場限りのものにしかならない。継続性はない。

何を重要だと思って生きているのか。大抵、意識していないことが多い。だからこそ緊急性に惑わされる。自分にとって本当に重要なこととは何であるのか。それをまず特定できるかどうかが肝である。

多くの金を稼ぐことなのか。賞賛を得ることなのか。他者の人生を操作できることなのか。ちやほやされることなのか。名声を残すことなのか。

本当だろうか。

無意識的に何を望んでいるのか。それを分析するところから始めるしかない。頭では何が大切であると思っていても、それはあくまで「頭で」考えただけなのである。家族が第一であると言う。子どもが大切であると言う。しかしギャンブルで借金を作り続けているとしたらどうなのか。「子どもを大切にしている行動」ではないのである。

行動である。それだけが判断の基準になり得る。「本当はこんなことを思っていたけれど、どうしてもやっちゃうんです」。ならば、「やっちゃうんです」の行動の方が真実である。

自分自身に対しては甘くなる。他者に対してはいくらでも「思ってるだけで、実行が伴わなければ意味がない」と言う。私もそうだ。しかし、自分自身に対しても、まず「自分自身の行動」から分析するしかないだろう。

自分自身を他者として扱うこと。それが自分自身をモニターすることの本義である。

平均的な一日のスケジュールを書き出してみることが功を奏することもある。だからこそ、ネット依存に対して、一日のスケジュールを書いてもらうのであろう。

書いてみると愕然とするのである。直面化したくないものをまざまざと見せつけられるのである。本当はそんなつもりではなかったのに、ということがはっきりと示される。

「こうありたい」という自分像といかにずれているのか、それに気がつくことになる。

気がついてヤケになる人もいる。自暴自棄になることもある。しかし、その「ヤケな行動」は本当に望んでいたことなのだろうか。

私は何を求めているのか。私の行動はどのような意味を持っているのか。

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