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『エスパー魔美』と「調子に乗ること」

Amazonプライムで見放題のため、藤子・F・不二雄の『エスパー魔美』をアニメで見ていた。

魔美の友人である高畑君は、自分がエスパーになったと思い込んでいた。しばらく調子に乗って、「魔美の前でだけは」その「秘密」を打ち明け、二人で特訓をする。しかしある日、魔美のちょっとした失敗のために、エスパーは高畑君自身ではなく、魔美であったことに気がつく。

そのとき高畑君は、「しばらく君とは会いたくない」という。「この気持ちに整理がつくまでは」。その理由は、魔美に対する怒りではなかった。「よく考えれば気がつくことなのに、自分がエスパーであると思い込んでいた、その迂闊さが許せない」からであった。

多くの場合、迂闊である自分の姿を気づかせた相手に対して怒りを持ってしまうものである。これが「恥をかかされた」感覚でもあるのだろう。ここで相手に怒りをぶつけず、自らについて内省する方向へエネルギーを用いることができる人間はとても強い。

ただし、エネルギーの向け方にもコツはいる。「どうせ俺なんか」というパターンでは先に進めない。それは、単に慰めて欲しいだけであったり、本当は違うよね、君は凄いんだよねと言って欲しいだけであったりする。結局、前には進んでいない。

実際には、「恥」の元となっているものは多くの人に「常時」公開されている。カツラみたいなものである。そのカツラを皆の前で取ったからといって怒りをぶつけても、あるいは何らかの方法で腹いせや仕返しをしても、結局「バレている」のである。周囲の人は、面と向かって「ハゲ」と言っていないだけである。

恥を露わにしてしまう行動は、うっかり人前で言ってしまう、叱る、嫌味、吐露など、様々な形式が考えられるだろう。どうでもよいことならば過剰な反応など起こらない。そこにある種の「迂闊さ」が存在する場合には、「恥ずかしさ」がセンサーとなる。

つまり、「恥ずかしさ」があるときこそ、乗り越える契機が訪れていることになる。

しかし、乗り越えるのはそう簡単ではない。上述のように、恥をかかされると、恥をかかせてきた相手に何らかの報復を行いたくなったり、すねたくなったりしてしまうものである。この難しさの元には何があるのか。

恥の元となったものを、消してなくしてしまうことはできない。ハゲはハゲである。植毛してもハゲである。多くの場合、恥の大本となった性質というのは、生まれ持った性質に起因していることも多い。消そうにも消せないものも多いのである。ということは、元来の性質をどのように用いるか、という点が問題となっている。

高畑君はそこに気づいた。「自分がエスパーではなかったことは残念だけど、僕にもやれることがあることに気がついた」。それは、魔美が使い方のわからない力を、適切な形で用いることをサポートする、いわばコーチとしての役割であった。そのために、分析能力や技術補助などを行うことにしたのであった。

最初、高畑君は「ないものねだり」をしていた。自らには備わっていないものを求めることによって、もともと持っている分析能力や冷静さ、論理的に組み立てる能力などを適切に用いることができていなかった。それは、魔美が超能力を持て余してしまっている状態とも相似形である。高畑君は魔美のコーチを行うことによって、自らの能力を用いる術も深めていった。その高畑君の姿がモデルとなり、また適切な論理構築や道具なども助けとなって、魔美もまた、自らの超能力を適切に運用することが可能となる。

もちろん、だからといって、私が誰かに恥をかかせてしまったことを言い訳するつもりはない。恥をかかせてしまったということは、それは伝え方やタイミングが最悪だったということである。恥をかかせずに、大切なことを伝達する必要はある。このあたりは繰り返し引用している『葉隠』が参考になるのだろう。

結局相手に何も伝えず、ニコニコして見守るだけでは、人前で、沈黙の中で、恥が晒され続けることになってしまう。もし本当に大切な人なのであれば、どこかのタイミングで、その性質を適切に運用できるよう、何らかの形で伝えなければならない。

私はその伝達に失敗する。うまく行く場合もあるが、失敗と成功はほぼ半々という感じがする。ただ、関係ができていれば、その失敗も何とかリカバリーできることはあるらしい。これは実感である。

問題は、関係ができていると思い込んでいるだけのときである。特に、相手に対してある種の「幻想」を投げ込んでいる場合、たとえ周囲からは仲が良く見えたとしても、そこには本来の交流は生まれてはいない。互いに、あるいは片方が、目の前の人ではなく、自らが作り出した映像とやりとりしている一人相撲なのである。

一人相撲を防ぐためには、まず「相手そのものには決して到達できない」「他者のことを十全に理解することは不可能である」という強力な自戒が必要になる。相手のことをわかった気になってはいけない。わかってなどいないのである。

話を戻すが、迂闊さを引き起こす元には、自惚れ、傲慢、自棄などが関わる場合もあるのだろう。このあたりは一括りのカテゴリでもある。これらは総じて「自己評価の低さ」のバリエーションではある。ただし「自己評価」を上げるために、かりそめの成功体験などを積み重ねてしまえば、よけいにあらぬ方向へ調子に乗ることになってしまう。エスパーではないのに、エスパーであると誤解してしまう。迂闊さを助長してしまう。

自己評価とは、自らの能力を実際以上に高く見積もることではない。無いものをあるかのように思い込むことでもない。適切に、正当に、冷静に、自らの性質を査定することなのである。だから、自己評価を適切に育もうとするならば、おだててしまうのはまずい。かといってけなすのもまずい。褒めるにしても工夫は必要で、何らかの留保は必要である。

高畑君に超能力があると思い込ませてはならない。どこかで、君には超能力はない、ということは伝えなければならない。さらに、それと同時に、論理構築能力や手先の器用さ、冷静さなどが具わっていることも伝えなければならない。ただし、それが「エジソン級」であるなどと不当なおだて方をすることもいけない。

「調子に乗る」パターンとしては、「ほんの少しの体験を全般に用いてしまう」ときに起こりやすい。高畑君も、たった3回のテレポート体験から、自らがエスパーであると思い込んだのであった。もちろん中井久夫のように、戦時中の小学校における体験から、いじめ全般に関わる本質的な部分を抽出できてしまうような天才もいる。しかし中井久夫は、その分析が「限定的である」ことを言及することを忘れない。

井筒俊彦も、小林秀雄も、自らの読書量は限定的である、知識は狭い範囲であると繰り返し記している。私などからすれば、どこが狭い範囲であるかと言いたくもなる。常人からすれば、それは広大すぎて把握することすら不可能なほどの知識量・読書量なのである。しかし、おそらく本人たちは本当にそう思っているのである。

その認識が、「調子に乗ること」にブレーキをかける。ある意味では「謙虚さ」ではあるのだが、これは何も、周囲に合わせて「へぇ。あっしは大した者じゃぁございやせん。いえいえ、皆さま方に比べれば、まぁ、屁みたいなもんでして。へへへ」ということとはまるきり違う。その証拠に、中井久夫も井筒俊彦も小林秀雄も、自らが考えた内容を堂々と伝えて来る。頭を低くしてやり過ごそう、あるいは油断させて一発かまそうとしているだけの者には、彼らのような芸当は逆立ちしても不可能である。

だから中井久夫たちも、一見「頭を低くしている」ように見える。しかしこれは、言ってみれば「自分は神ではない」ということの自覚でもあり、自戒でもある。正確な、自らの知識や思考の範囲を把握した上で出てきた言葉である。だから、嫌味には聞こえない。

十分ではない者ほど、知ったかぶりになる。十分ではない者ほど、頭を低くして「あっしは大した者じゃぁございやせん、へへへ」とやる。そうして不意を突くぐらいしか、攻撃手段を持たないからである。しかし残念ながら、そんな技は一度しか使えない、相撲における「猫騙し」みたいなものである。

ということで、うっかりすると知ったかぶりをしてしまい、うっかりすると調子にのる自分としては大変耳が痛い文章を自分で書くことになりました。はい。耳が痛いです。ですから、高畑君は素晴らしいです。尊敬いたします。中学生である魔美がヌードモデルになっている絵をことあるごとに見ても顔を赤らめるだけで動じないあたり、すでに修行僧です。

というよりも、このような話をさらっと書く藤子・F・不二雄は、やはり只者ではないと思われます。他にも、エスパーの自覚が生まれた魔美が、母親に「家族にエスパーがいたら、素敵じゃない?」と問いかけるシーンがあります。母親は、「こわいわよ。自分が考えていることが読まれるなんて、気持ち悪いわ」と答えます。他にも似たような質問を父親にしますが、父親は「最初はもてはやされるだろうね。ちやほやもされるだろう。でも、いずれ、おこらせてはまずい、何をされるかわからない、と、怖れられ、排除されるだろう。人は、自分と異質なものを排除しようとするものだ」と言います。こういう内容をふとしたシーンに、嫌味でも説教臭くもなく、自然に入れ込んでくるのは、最近の漫画家にはなかなか難しい芸当であるように思われます。

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