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「悟り」に関する覚書

「悟り」の状態は道の半ばであるという。これは井筒俊彦の『意識と本質』(岩波文庫)の中で読んだことであった。井筒の解釈としては、言語によって世界を分節している状態から出発し、それらが分節される前の混沌とした世界を直接認識することが「悟り」、その後、再度言語によって分節された世界に戻ってくることで旅が完了する、ということになる。この旅は幾度も繰り返されるのだろう。その度に螺旋状に上がっていく、というイメージだと思われる。

少なくとも、一度分節状態から離れ、混沌を直接感知する状態に至ると、山は山ではなくなり、川は川ではなくなる。それらは渾然一体となっている。ただのエネルギーそのものである。そもそも、山を山と区分しているのは、私たちが「山」と呼ぶ区分けでしかない。別に混沌のエネルギーそのものを見なくとも、「山」と呼ばれているものと「平野」と呼ばれているものを区分けしている明確な線があるわけではない。それはなだらかにグラデーションしており、はっきりとした境界線があるわけではない。「川」と「岸」でも同じで、「浜」と「海」でも、「沖」と「浅瀬」でも同じである。遠くから見れば確かに「線」は見えるかもしれないが、近くに寄れば当たり前に小さな石であったり、水が浸透している状態であったり、はっきりとした区分はなくなる。分子レベルに落としても同じで、さらに電子、クォーク、どのような小さなレベルまで落としても、すべてはグラデーションしているだろう。これらはあくまで「頭」で考えた状態であって、「悟り」ではない。これらを実感するのが「悟り」である。

ただ、悟った状態ではまだ足りない。それはただの一瞬である。この状態をキープしなければならないのである。また、混沌を見ているような朦朧とした状態だけではいけない。分節状態の視点も保持していなければならない。そうでなければ生きて行けない。この二重の視点を常に保持しながら、行ったり来たり、というよりも混沌と分節を同時に生きなければならない。この状態をキープするために数十年の修練が必要である、そういうことなのだろう。

〈「道というものは、知るとか知らないというレベルを超えたものだ。知ったといってもいい加減なものだし、知ることができないといってしまえば、何も無いのと同じだ。しかし、もし本当にこだわりなく生きることができたなら、この大空のようにカラリとしたものだ。それをどうしてああだこうだと詮索することがあろうか」。この言葉が終わらぬうちに、趙州はいっぺんに悟った。/無門は言う、「南泉和尚は趙州に問いつめられて、ガラガラ音を立てて崩れたな。もう何の言い訳も出来ないだろう。趙州の方だって、たとえここで悟ったといっても、本当にそれが身に付くためには、まだあと三十年は参禅しなくてはなるまい」。〉(『無門関』岩波文庫 p.89)

その状態に至ったら、世界がどう見えるのか。どう観えるのか。

〈夾山の善会は、「夾山の景色はいかなるものか」と訊かれて、こう答えた。

猿は子を抱いて青嶂(せいしょう)の後(しりえ)に帰り
鳥は花を銜(ふく)んで碧岩(へきがん)の前に落つ

(猿はもう青い峰の背後の家に行った、
 子を胸に抱えて。
 鳥は深い緑の岩野前に降りて来た、
 くちばしに花びらをくわえて。)

わが法師は、この詩について、一度こう述べたと言われている。「三十年間、私は間違ってこれを外の風景描写と見なしてきた!」

 方眼のこの言葉は、この詩が本当は、内的風景の象徴的表現として受け取られるべきだということを意味しているのだろうか。明らかにそうではない。彼は全く違うことを言おうとしているのだ。…それらは、数多くある具体的にリアルなものである。そして、この意味で、詩は外界の〈自然〉の具体的描写である。ここで重要な点は、その自然風景がSEEの眼で見られているということである。〉(井筒俊彦(野平宗弘訳)『禅仏教の哲学に向けて』ぷねうま舎 pp.54-55)

この視点で、芭蕉や西行を読む必要がある、ということなのだろう。世界を貫通するエネルギーそのものの顕現を外的世界に「観る」(SEE)状態での自然描写、ということなのだろう。おそらく芭蕉や西行は、その眼を持っていた。

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