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河合隼雄『中年クライシス』朝日文芸文庫 安部公房『砂の女』について

安部公房『砂の女』について書かれたエッセイからの引用である。

<中年は毎日の仕事に忙しい。仕事をどのようにこなしてゆくか、家族の問題をどう解決してゆくか。毎日毎日が大変で、ほかのことなど考える余裕などない。しかし、そのなかでも、自分はなぜ生きているのか、死んでからどうなるのか、などと考える人がいる。いったい、自分の人生を導くものは何なのか。昔は神や仏によって導かれ、したがって自分の生命を「永遠の相」のなかで実感できる人が多くいた。しかし現代では、それほど簡単に神や仏に従ってばかりもおれない。そこで、われわれの主人公は昆虫の{みちしるべ}に頼ることにしたのだ。>(p.75)(注:ハンミョウは「みちしるべ」とも呼ばれる)

私は37歳になった。何歳からが中年なのかはわからないが、多分もう中年なのだろう。しかし、残念ながら私は「毎日の仕事に忙しい」というほど忙しくない。家族の問題は思ったより存在しているが、それでも「毎日毎日が大変」というほどでもない。多分、だから余裕をこいて「自分はなぜ生きているのか、死んでからどうなるのか、などと考える」ことになる。そのあたりを考え続けることが仕事のうちに入ってしまうような心理学というやくざな分野に籍を置いているために、仕事なのか趣味なのか良くわからないような部分もある。ただ、いずれにしても私にとって「いったい、自分の人生を導くものは何なのか」という問題はかなり大きなものである。

<中年になってあくせく働き、時には出世したり、成功したりしたと思いさえするが、その間に、ほとんど目に見えぬほどの砂がだんだんと降り積もって、人間の「たましい」を侵蝕してきているのではなかろうか。そして、老人になって、ふと気がついたときは「もぬけのから」になってしまっている、というわけである。>(p.79)

あくせく働いているわけでもない。しかし「ほとんど目に見えぬほどの砂がだんだんと降り積もって」いる感覚はある。「たましい」が侵蝕されて来ている印象もある。何故だろう。何が間違っているのだろう。私は何を見ないようにしているのだろう。

<人間は時に「自分自身が、砂になる……砂の眼でもって、物をみる」のがよさそうに思う。といっても、砂の世界に生きる男は溜水装置というなぐさみ物をもっているし、女のほうはラジオを手に入れて大喜びしているのだから、何らかの工夫をしないことには、砂になってばかりいるわけにもいかない、ということになるだろう。中年の生き方には工夫がいるのである。>(pp.86-87)

河合隼雄は安直に答えを書かない。どういう人であったのか、本当のところは良く知らない。ただ、ある部分では誠実な人だったのだろうという気もする。多分河合隼雄自身、どうしたら良いのかわからなかったのだと思う。別の箇所で、以下のように記している。

<中年のエロスの困難さがよくわかる。そこで多くの人が、エロスの対象として人間以外のものを選ぶことによって、何とかバランスをとっている。そこに各人の工夫があり、それはそれで結構であるが、それについて自覚しておくことは必要である。>(p.98)

工夫はいるが、工夫だけではいけない。それが本質的なことから逃げることにもなっている。しかし、逃げざるを得ないときもある。それが良い結果を生むこともある。最悪の結果に導かれることもある。一概にはいえない。しかし、逃げていること、ごまかしていることを自覚しておく必要はある。そう記されているように私には読める。

それで、どうなる? 自覚したあとどうすればいい? それは記されていない。あるいは書かれていたとしても、違う箇所では遠回しに否定したりする。渾然一体となって答えは曖昧にされている。

曖昧にするしかなかろう。誰にでも通用するようなわかりやすい答えなどなかろう。答えを書かないというその点が、河合隼雄の誠実さなのだろうと私は思う。

3年前、私が『砂の女』を一気に読んだときに得体のしれないものを感じ、38度を越える熱が1週間も続くという強烈なオーバーヒートが訪れた。実際には蓄膿症であった。そして耳鼻科で治療を受けた。別段『砂の女』を読んだだけでこんなことになったわけではない。他にもある種の無理がたたっていた時期でもあったが、それにしてもこの『砂の女』が最後のひと押しを一気に推し進めたのは確かだろうという感じがする。

『砂の女』は、私の処理能力を超えていた。少なくとも『砂の女』を読み終わってしばらく、私の中には嵐が吹いた。妙に粘ついた、不気味なものが荒れ狂った。作品としてそこまで無茶苦茶なものではない。残酷なものや赤裸々なものなど他にもいくらでもある。多分、私の内部にある、まだ見る準備ができていない部分が急激に触発されてしまったのだと思う。

今ならオーバーヒートせずに読めるのだろうか。準備ができたのだろうか。

なんとも言えない。

<地上に、風や流れがある以上、砂地の形成は、避けがたいものかもしれない。風が吹き、川が流れ、海が波うっているかぎり、砂はつぎつぎと土壌の中からうみだされ、まるで生き物のように、ところきらわず這ってまわるのだ。砂は決して休まない。静かに、しかし確実に、地表を犯し、亡ぼしていく……>(『砂の女』新潮文庫 p.17)

安部公房は、そう記す。

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