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加算法での評価

人を加算法で評価することはとても難しい。

減点法は簡単である。ちょっと気に入らない部分があれば減点すれば良い。基準は100点。そこから引いて行けば良い。小テストの点数が低ければそこから引く。リアクションペーパーが酷ければ、引く。レポートでも、基準に充ちていないと感じれば引いて行く。それだけである。

しかし、加算法となると、「良い」と思われる部分をどんどん見つけて加算して行く必要がある。気に入らない部分があっても、それは引かない。ここが難しい。結果的に、学校などでの評価は、加算法と減点法を合わせた形で評価しなければならない。加算法だけでは点数がインフレを起こすし、減点法だけではミスのみ注目することになる。だから、加算法で判断する部分は平常点、テストは減点法で行う、などと、それぞれの領分を決めなければならない。

しかし、それは仕事だからできることである。プライベートで他者を見る際に、加算法を選択できる人というのは本当に尊敬する。私はできない。仕事のつもりにならなければできない。

だったら、仕事のつもりになってしまえば良いのであるが、それも限度がある。感情が関わる。仕事の上では無理に感情を脇においておけても、プライベートで感情を脇に置くには相当な鍛錬を必要とするのだろう。現段階で、私には無理である。

加算法で他者を判断できるのであれば、良い評価がインフレを起こし、どんどん良い評価となる「はず」なのである。しかし、意識的に加算法で判断しようとしても、結局は「打ち止め」がある。減点は減点で、結局別軸で蓄えられてしまうことも多い。あの時ああだった、というような「恨み」や「根に持つこと」が残るのは、別軸だからである。

恨みを持たない人というのがどれだけいるのだろう。恨みを表に出さない人ならいる。しかし、抱かないという人がどれだけいるのか。

ならば、失敗は許されない。そういうことになる。しかし、私たちは人間であって、必ずしくじる。失敗をする。対人関係において100%、120%で接することができる人など、聖人でもない限り、いるはずがない。

恨みもあって当然。根に持つことがあっても当然。そのぐらいに思うしかあるまい。せめて、それを表に出して、他者を責め続けることさえしなければ御の字だと思うしかない。それだって出来る人は限られているのである。恨みを思うぐらい、感じてしまうぐらい、許さなければなるまい。自分に対しても、他者に対しても。

ただ、対人関係は、たとえかなり親密な間柄だったとしても、ある意味では「仕事」である意識は保った方が良いのだろうとは思う。それがおそらく、「親しき仲にも礼儀あり」ということなのだろう。

礼は、相手を尊重することを含む。ということは、自分だって恨みを抱くことや根に持つことがあるのだから、他者にだってあって良い、という認識を持つことが前提である。それを表に出さないという取り決めが礼でもあろう。それを基盤として、意識的に、努力をして「加算」して行く必要がある。

つまり、「良いところ」を加算することにはエネルギーがいる。厭だったことを覚えておくのは容易い。「良かったところ」というのは、繰り返されると慣れてしまうものである。慣れたら最後、それが基準となり、減点法が再開されてしまう。あまつさえ、良かったということが記憶にすら残らなくなる。

毎回、新しい人と会うイメージを持てたら最高であるが、まぁそれは無理である。私たちには記憶がある。だからせめて、良いと感じたところを刻み込む努力をしなければならない。

それが、誰かを好きになることである。

恋に落ちる際には、そういった努力はいらない。何せ、見えているものは自分の内側に存在する理想像だからである。良いに決まっている。良いという基準に照らし合わせて、合致したと思い込んでいる箇所を数えるだけである。簡単だ。

しかし、そういった「恋の病」的、いわば「病的」な関係ではなく、本当の対人関係が始まった際、理想に照らし合わせる方略は消える。目の前には見知らぬ他者が存在しているだけである。厭なところは残り易く、良いところはすぐに慣れ、忘れ去られ易いことを肝に銘ずる必要がある。できれば、良いと感じた部分はどこかに書き付けても良いのだろう。日付とともに。どうせ、厭だったことは覚えているのだから、それは書かなくても良い。忘れられればそれに越したことはないのだから、刻み込む必要はない。

何だか自己啓発本に良くありそうな内容で厭であるが、やはり誰かを好きになるには努力が必要なのである。ひいては人を愛することにも繋がる。それは努力が必要であるし、技術も磨く必要がある。放って置いたら好きになるというのは、恋でしかない。それだって大切なことではあるが、あくまで対人関係が始まるとっかかりであって、本番は「恋の花が散った後」なのである。

その覚悟が、私にはあったのだろうか。書いていて反省し切りである。一体どれほどの人を、今でも減点法のみで判断しているか。恨みを抱いているか。根に持っているか。それを捨て去ろうとは思わない。しかし、人を好きになる努力を、もっと緻密に行っても良いように思える。

はい。努力します。精進します。今から。

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