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3年以内に職を変わること

職場がいくつも変わる人がいる。それ自体がいけないわけではない。たとえば欧米では、ある一定期間以上同じ職場に居続けることの方が「異常」扱いされることもある。河井隼雄によれば、20年同じ職場に居た人が、ヨーロッパで精神疾患の兆候としてケースに扱われていたことが記されている。しかしここは日本であるので、流れている文化的力は相当に異なっていることを考慮する必要がある。この国において、3年以内に職場を変わる場合、「何か」あると考えて差し支えない。

立場上、職場を点々とする人の「言い分」を聞くことは多い。その時、必ずといって良いほど話題に出るのは、上司との関係である。上司との関係が良い時には仕事が続く。しかし、上司が変わって相性が悪くなると「色々な理由をつけて」違う職場に変わる。同じ上司であっても、その上司に対して「理想化」が効いているうちは職が続き、「幻滅」するとその上司との関係が一気に悪くなり、まるで違う上司に変わった時のような反応が出現することも多い。

職を転々とできるのであるから、ある意味では能力が高い。バイトだけ、あるいは非正規雇だけの場合もあるが、正社員、準正社員のような境遇を次から次へと見つけてくる人もいる。

多くの場合に共通するのは、「(自分がどんな状況であっても)頑張っていることを認めてくれて、かわいがってくれる上司なら良い」ということらしい。認め方、かわいがり方は、その人の「して欲しい」やり方でなければならないことが多いようだった。

こうやって文章にすると、随分なものである。その人自身が上司になった際、部下に対してできることなのであろうか。自分の言いたいことを言いたいように言って、自分のやりたいように勝手に努力をして、頑張って、それを認めろと要求し、褒めろと要求していることになる。しかも、どのように褒められたいのかを先読みしてくれないとダメだ、とまでいう。

実にかわいげがない。

かわいがられるためには、かわいげがなければならない。かわいがられるための努力も必要である。ここでいうかわいげとは、ぶりっ子のことでも、媚びることでもない。「教えてください」という姿勢である。そして、気持ち良く教えさせる技術である。さらに、そこで得たものを自分なりに深めて、より進化したものとして見せることである。つまり、相手の教育欲に火をつけることである。ただ覚え込むだけではダメである。

ここで、「誰にでもかわいがられたいわけではない」という発言が生まれる。それはそうなのだろうが、換言すれば「自分が望んだような理想的な人から、特に工夫を凝らさなくとも、やりたいように努力していれば褒められる」状態が望まれていることになる。

ここに、根深い父親コンプレックス、あるいは母親コンプレックスが見え隠れする。ここでいうコンプレックスとは「劣等感」のことではない。関係が複雑になってしまい、絡まり、ある一定の刺激が入ると深く考えることなく、いつも一定の反応が導き出されてしまう、いわば回路がショートしている状態のことである。象徴的な父性・母性に対するコンプレックスでも、実際の父母に対するコンプレックスでも、3年以内に職場を変わる人の場合、かなりややこしくなっていることは多いように感じられた。

私としては、実際の父母との関係というものはそれほど大きな影響はないと考えていた。しかし、父性・母性という象徴の問題を考えた場合、その象徴をかぶせる先は、実の父母であることは当然多くなる。つまり、実の父母との客観的な関係性というより、その人の内的な父性・母性との関わり方が、実の父母に対する幻想として現れている、と考えれば良いのだろう。その人の父母に対する言及内容は、客観的な(そんなものはないだろうが)父子・母子関係とは異なることなどいくらでもある。それは、結局は内的な想像・幻想の吐露である。

そしてその力は、上司、あるいは会社に向けられることが多い。上司には父性的な、会社には母性的なものが投影される確率が高い。上司は叱責し、褒め、支配する。会社は包み込み、育み、守る。そういうことである。

もし自分がそのような傾向を有すると思うのであれば、実の父母をひとつの題材として、自分が父性・母性とどのように関係を持っているのか、探ってみると良いかもしれない。私のカウンセリングに50分1万円も出して通ってくる人は、自分一人ではそのあたりを探ることができないという自覚があるので、むしろ踏ん張って探ろうとする傾向はある。多くの人は「自分には問題がない」と思っているから厄介である。たとえ、傍目には仕事が続かないことが明白であり、ファザコン・マザコンが明白であっても、先にも記したように、自らに対して極めて巧妙な「言い分」が存在する。しかしその人たちは、どの職場に移っても、最終的に言っている「愚痴」の内容は酷似してくる。どこかで聞いた話になって来る。4つめの職場ぐらいで本人がそのことに気づくこともあるが、8つ職場を変わっても、型が同じであることに気づかない人もいる。付き合う男女の場合も当然同じである。職場との関係と男女関係は、ほぼ同期する。

欧米で転職がスタンダードだとはいっても、日本における職を転々とすることとは意味合いが異なることを十分に吟味しておく必要があるだろう。欧米であっても、何かひとつのことを継続できない、移り気が激しく踏ん張る力が無いものは信用を失う。当然である。実力という一点を持って、その売り物をより高く買ってくれる場所に移るのである。合わないから努力せずに逃げることとは違う。もちろん、あまりに酷い職場というものもあるが、自分のやりたいように努力するだけではない努力というものが存在する。「努力」なら何でも良いはずがないだろう。極端な話、販売の仕事中にずっと二の腕の筋肉を硬直させ続けるという「努力」もあり得る。しかし当然、その努力は「お門違い」である。

私はたまたま、非常勤ぐらしが長かったこともあり、職を転々としても「あまり不自然には見えなかった」だけである。しかし、上司に食ってかかる自らの様、努力の身勝手さには、30歳ぐらいでようやく気づいた。遅い。私のファザコン・マザコンは、おそらく根深い。しかし、無自覚であるよりはマシであろう。マシだというだけだが。

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