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お経

とても良い経を聴いたことがある。木魚はややシンコペーション、声の抑揚はなだらかだが尖りもあり、伸びやかで、切れがあった。複雑な色彩を持つ、単純な佇まいの唄だった。ロックだと思った。ギタリストO氏から聞いた「揺れて、転がる」という、本来の意味でのロック&ロールだと思った。

その住職は原チャリで登場した。汗をかきながら「道を間違えました…」と、葬式当日に遅刻した。もちろん、大幅に遅れたわけではない。しかし、予定の到着時刻からは30分遅れていた。

かといって、失礼には感じられない。私には、この遅刻は遺族への配慮ではないかとすら思えた。明らかに緊張がほぐれたのである。もしかしたら本当に道を間違えただけなのかもしれない。しかし、配慮であると感じられてしまうような、優しい遅刻だった。

彼の経を聴いて、身体を揺すりたくなった。何かが同期してしまう。葬式に踊るわけにもいかぬだろうが、本来葬式も「まつり」であって、リズムに合わせて踊るものなのかもしれないとも思う。

住職は、どこをとっても、何か飄々とした印象を与えた。しかしどこをとっても、研ぎ澄まされた作為のようにも見える。無作為なのか作為なのか、もうわからない。一流だと思った。この住職は、ある種のエンターテイナーだった。

「有名」になることに、どのくらい価値があるだろう。多くの人に何かが届く、という点では、それは重要かもしれない。しかしやはりそれは、やっていたら致し方がなく名が付いてきてしまった、時流と合ってしまったという場合にのみ、力を持つようにも思う。この住職の方が、私にはミスチルよりも重要だった。その経の方が、どんなライブよりも重要だった。少なくとも私のコアな部分が揺れ、極めて重要なタイミングで坂を乗り切る力を与えてくれた。

あの経の声で語れるようになるだろうか。もう一度聞いても、同じようには聴こえないのだろう。あの音色は、あの時の私の状況と、あの時の空の色と、草の匂いと、そういうもののないまぜになった印象なのであろう。ただ、それらすべてを合わせた何かは、確実に私の中に流れ込んでいた。再現するつもりはない。しかし、そこにつながることはできよう。そういう気がする。

人が変わることはある。変えようとして変わるものではない。それは祈りでしかない。

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