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『バガヴァッド・ギーター』と集合的無意識

(先に、【個人的無意識と集合的無意識】をお読みください。)

1.『バガヴァッド・ギーター』における神の描写

『バガヴァッド・ギーター』は、インド、ヒンズー教の聖典でもある『マハーバーラタ』の一部である。『バガヴァッド・ギーター』を日本語に訳すと、「神の歌」となるようだ。

マハーバーラタ全体がストーリー仕立てになっている。『バガヴァッド・ギーター』では、親族同士の大戦争になる寸前、戦士アルジュナが戦意を喪失しているところから始まる。傍らにはクリシュナがいる。クリシュナが神の化身であることは、アルジュナは知っているが、見た目が人間なので、少々砕け気味。

「…。クリシュナさん。この戦争、ちょっと無理だ。だって、俺らも、相手も、どっちも親族同士じゃないか。俺らが相手を全部殺したとしても、なんか違う気がしてしまう。じゃぁ、俺らが全滅すれば良いかって言ったら、それも違うと思う。どっちを選択しても、遣り切れない思いになるだろう。一体俺は、どうすれば良いんだろう…」

アルジュナは戦車の中で、呆然としてしまう。その様子を見たクリシュナは言う。

「なぁ、アルジュナ。殺したら、そりゃ肉体は死ぬ。ただ、中心部分は残って、そこに新しい肉体がくっつく。また生まれてくるっていうことだよ。それが輪廻さ。だから、殺すことについてはあんまり考えるな。殺したつもりでも、死んでない。ずっと残る。それからな、お前は戦士で、かつ軍師なんだよ、アルジュナ。それが、今この世でお前が持ってる役割だろ? これ、下っ端の兵士だったらまた話は別だけど、上位ランクのお前がそうやって戦車でぐったりしてる姿、お前の部下が見たらどう思うかな。怖じ気づいた、と見るかもな。びびってる、と見るかもな。俺たちを見捨てた、と見るかもな。まぁ、あんまり良い効果はない。これはな、もう戦うしかないんだよ。人によって役割がいろいろあるだろ? 学者は知識をきっちり研ぎすまして行くこと。行者は行を極めて行くこと。同じなんだ。お前は、戦士として、行為の結果じゃなくて、今やるべきことに集中して、淡々と全力を尽くせば良い」

「クリシュナさん…。うん。そうなんだよな。そうなんだよ。きっと、そうだ。だけど、それを続けて、一体何になるんだろう…」

「お前が殺した相手も、何もかも、俺につながってる。全部、俺につながってる。一応ね、気づいている人もいるんだけどね。実感はないかもな。で、どうかね。輪廻っていうのも、結構きつい部分はあるわな。生まれ変わるのも悪くないけど、何度も何度も、永遠に生まれては死ぬ、っていうのはちょっと厳しいわな。もちろん、そういうシステムは、全体として必要なんだけどさ。動き続けないといけないんでね、このシステム。でもアルジュナ、お前は相当見込みがあるから、言ってるんだ。これは、本当に一握りの人間にしかできないことでもある。ちゃんと、目の前の行為に専心することを、俺に捧げてごらんよ。結果にとらわれずにさ。それを積み重ねて行けば、お前のエネルギーは、周辺部分の輪廻する部分から、すべてを統括する俺の側へとずれて来る。つまり、肉体がもう一回くっついて輪廻しちまう、という循環から外れるんだよ。そして、すべてがつながれている俺の所にくることになる。それを、ニルヴァーナ(涅槃)というんだ。アルジュナ、たぶんお前なら行けると思うぜ」

アルジュナは答える。

「…クリシュナさん。本当にありがとう。あなたの言う通りだと思う。本当に。ただ…、クリシュナさん。あなたが神であることを疑うわけじゃない。話の内容もすごくしっくりくるんだ。でも、全部の中心であって、全部がつながっている、ということ、もし良ければ…、見たいんだ…。あなたの本当の姿を」

「なるほど。今まで人間は誰も見てないし、というか神々ですら、見たくて仕方がないって思ってるくらいだからな。でもまぁ、お前には見せてもいいぜ。肉眼じゃ見えないから、天の眼をやるよ。これで見える。いいか…。いくぞ」

ここからである。

〈われは見る、多くの腕・腹・口・目を有し、一切方に向って無限の形相を示す卿を。われは見ず、卿に終りあり、中間あり、はた始めあることを〉
〈冠を戴き、戟(ほこ)を執り、輪盤(cakra)を手にし、一切所に輝き渡る光明の集積として、一切方に火炎・太陽の光線を散じ、凝視し難く、測るべからざる卿を見る〉
〈初・中・終なく、無限の威力を有し、無数の腕を有し、日月を眼とし、輝く火炎を口とし、自己の光明によってこの一切を熱しつつある卿を〉
〈天地の間のこの空間および一切の方所は、実に卿独りによりて充満せられたり。卿のこの希有にして恐しき形相を見て、三界は愕然たり〉
〈急ぎて卿の口に入る、牙突きいでて恐しき。或る者は頭(こうべ)微塵に砕けて、[卿の]歯間に懸りて見ゆ〉
〈あたかも河川の幾多の激流、海に向いて奔走するがごとく、かくかの人界の勇者たち、炎(ほむら)立つ卿の口中に入る〉
〈卿は一切方において全世界を呑噬(どんぜい)しつつ、燃え立つ口をもちて舐め尽す。卿の恐しき光炎は、全世界を光明もて満たして熱す〉
〈聖バガヴァッドは言えり。/われは「時」なり〉
(辻直四郎訳『バガヴァッド・ギーター』pp.183-189)

始まりも終わりも見えず、直視できないほど強く様々な色に光り輝いてグラデーションがうねっているような姿。とんでもない数の、太陽と月のような目がある。とんでもない数の腕がある。火炎を吐きまくる口が無数にあり、死したるもの一切を吸い込んで(おそらくは再生したものを吐き出し)、その牙には死体がひっかかっているという凄まじさ。最後に一言、

〈われは「時」なり〉。

すごい。

2.集合的無意識の図を拡張して理解する

さて、このクリシュナの言っている内容を、前回の集合的無意識の図を用いて考えてみる。図3は、集合的無意識の突起部分に肉体がくっついている状態である。肉体は死滅するが、中心部分の突起は消えず、新しい肉体のカバーがぐにゃん、とくっつくイメージを思い浮かべると、クリシュナが言っている内容がわかりやすいかもしれない。

この考え方からすると、突起部分のひとまとまりが、中心部分に回収されるというか、統合される状態が、ニルヴァーナである。確かに、肉体のカバーが再度くっつくことはない。そして、全体は○なのだが、その中央部分に、このエネルギー全体を司っているセクションがある、という感じであろう。クリシュナが、神々、と言っているのは、おそらくユングの言うところの様々な元型であると考えれば良いかもしれない。

確かに、エネルギーの、円の中心点は、すべてを司る。それは、元型も、個人も、つながっている大本である。そして、その大本を、無理矢理視覚化したとすると、先ほどの描写になる、というのは、私は大変しっくりくる。
神の描写として、善なる神、暖かい神、そういうのも大切だとは思うのだが、人格神を超えて、死も生も、すべてのエネルギーを司る状態というのは、こういうことなのではないか。そう、私は思ってしまう。

クリシュナは言う。「いろんな宗派があっていいんだ。別に。それぞれのやり方で、全体に奉仕すればいい。でもな、最終的には俺につながってるんだ。その、浅さによって、いろいろ宗派が分かれてるけどな。俺の名前は、宗派によって随分違うぜ。でも、別にいいんだ。名前が問題じゃないから」。

多分、私は、集合的無意識の図像が頭に浮かんでいなかったら、クリシュナの言っていることは何だか良くわからなかっただろうと思う。図示することは、多分イメージを固定化してしまう弊害はあるが、ある程度抽象的であれば、固定化も多少は和らぎ、理解がスムーズになる部分もあるように思う。10308376_295272170646684_7466320242751523814_n.jpg

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