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バルビュス『地獄』(岩波文庫)からの連想

バルビュスの小説『地獄』の主人公は、田舎からパリに出てきた青年である。名前は出てこない。公務員となる予定でパリに出て来て、一時的にホテルに宿泊する。そのホテルはかなりハイランクな人々が泊まる場所であった。青年が宿泊した部屋には、隣室に通じる覗き穴があった。青年は、職場に行くことを先延ばしにし、持ち金が尽きるまで約1ヶ月、覗き続ける。仕事もふいにすることになる。

青年は隣室を覗く中で、人々が外では見せない、様々な様相を観察することになる。手紙を読んで口づけをする清掃婦、裸体になる女性、不倫密会を続けるカップル、死に瀕した50代男性と結婚する20代女性のやり取り、そしてその死。それらを覗き続け、主人公はある結論に達する。

〈なにか言うべきことがあったら、言ってほしいものだ。幸福はわれわれのうちに、われわれめいめいのうちにあり、それは自分の持っていないものへの欲望だ、ということ以外に!〉(バルビュス『地獄』岩波文庫 p.112)

〈ぼくはあの覗き見したへやから個々につみとった真理を、すべての男たちと一緒に、再現しようとしている。その真理とは、《ぼくはひとりぼっちだ。自分のもたないものが、なくしてしまったものがほしい》というのだ。人はこの欲望で生き、この欲望で死ぬのだ。〉(同前、p.316)

幸福の定義というものもいろいろあるだろうが、なるほど、この感覚は確かにある。自分がその対象を所有してしまった時点で、幸福ではなくなること。誕生日プレゼントで欲しかったものを手に入れてしまうと、何を買おうか悩んでいた時よりも喜びが減少する、果ては霧散してしまうようなあの感覚。旅行に行く前の方が、旅行の最中よりも楽しみなあの感覚。おそらく、構造は同じなのだろう。その対象が、妻であったり、子どもであったり、家庭であったり、家であったり、戦争がなく殺戮される可能性が少ない環境であったりするということにもなる。手に入れた最初のうちは、“幸せである”と意識はできる。しかし、次第に薄れて行く。どんなに意識的に「これは幸せなのだ」と自分に言い聞かせてみても、無駄である。幸福というものが、このような定義のものであるとするならば、そうである。

バルビュスは、それらの例として以下のようなものを挙げる。

〈熱愛していたものが、急に、または徐々に、唾棄すべきものとなる、この恐ろしい不思議〉
〈人間のあらゆる夢がいつとはなく悲歎にかわる〉
〈快楽が人間の肉から花と咲きながら、痰唾のように人間のうえに落ちてくる悲哀〉(同前、p.86)

持っているものでは満足できず、手に入れた時点で失われてしまうとすると、永遠に幸福にはたどり着けない。だからこそ、『地獄』の主人公も、「なにか言うべきことがあったら、言ってほしいものだ」と言う。知りたいのである。

ただ、ここで言われている幸福は、いわゆる「欲望」に限定されているようには思う。特に、際限がない欲望を指している。欲望の中で、権力欲だけが際限がない欲望であるとは、中井久夫の言である。

〈権力欲はこれらとは比較にならないほど多くの人間、実際上無際限に多数の人を巻き込んで上限がない。その快感は思いどおりにならないはずのものを思いどおりにするところにある。自己の中の葛藤は、これに直面する代わりに、より大きい権力を獲得すればきっと解決しやすくなるだろう、いやその必要さえなくなるかもしれないと思いがちであり、さらなる権力の追求という形で先延べできる。このように無際限に追求してしまうということは、「これでよい」という満足点がないということであり、権力欲には真の満足がないことを示している。権力欲には他の欲望と異なって真の快はない。〉(中井久夫『アリアドネからの糸』p.6)

食欲や情欲にも際限がないものがあるではないか、という疑問に対しても、中井は先回りする。

〈睡眠欲も食欲も情欲も満足があり、満足とともに追求がやむ。例外はある。睡眠欲はともかく、食欲と情欲とが無際限に追求される場合である。この場合、いや一般にこれらがとりたてて問題となる場合の多くはこれらの欲望が権力の手段となり下がった場合である。たとえば情欲が相手を支配する手段となる場合である。この場合、情欲自体の純粋な快楽は失われ、相手の気持ちにかまわず相手におのれの欲望を受け入れさせることが真の目的となる。食欲の場合はたとえば古代ローマ時代の版図全体の珍味を集めた「シーザーの食卓」である。インド孔雀の舌の味そのもののよしあしはさほどの問題でなかろう。〉(中井久夫『アリアドネからの糸』pp.6-7)

「相手の気持ちにかまわず相手におのれの欲望を受け入れさせることが真の目的となる」。これは強烈である。その通りとしか言いようがない。これが、対人的に行われる欲望の本質なのであろう。このタイプの権力欲と、別タイプの欲望が結びついたとき、際限のない欲望のバリエーションが出現する。

そして、バルビュスの記す「自分の持っていないものへの欲望」とは、際限のない欲望のことそのものである。ということは、それは権力欲と結びついている。

権力欲とは、「思いどおりにならないはずのものを思いどおりにする」欲望なのであるから、「コントロール欲」と言い換えても良い。理性による、対象のコントロールである。その対象に、自然が来たり、技術が来たり、他者が来たりする。そして、そのコントロールは、人間が生物として、理性を獲得した時点でビルトインされる。必ず。

だから、バルビュスが示している幸福は、何かしらの権力欲と結びついている。そのコントロールの最終的な矛先は、死である。しかし、それは唯一、コントロール不能なものである。

死ぬこと。

たとえば、カミュが死について触れる際、それは割り切れないもの、不条理というものとセットになる。

〈この世界はそれ自体としては人間の理性を超えている、――この世界について言えるのはこれだけだ。だが、不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。〉(『シーシュポスの神話』p.42)

生きていたいのに死んでしまうということ。何をしても、結局は死んでしまう。死ぬ時期が早かろうが遅かろうが、とにかく死んでしまう。死刑囚と死刑囚でないものの違いは、ただその時期が、本人に明晰に示されているかどうかの違いのみであるということ。結局、私たちはいつ死ぬか知らされていないだけの死刑囚である(注)。

そして、カミュは記す。

〈はたして思考はこのような砂漠のなかで生きられるのだろうか、ぼくはまずそれを知りたい〉(同前、p.43)

思考は、理性の一機能である。理性の方がカテゴリとしては大きい。しかし、この文自体は、思考を理性と読み替えてもおそらく大きな問題はないだろう。

人間に理性が存在する以上、権力欲=コントロール欲が存在する。権力欲=コントロール欲が働く以上、「自分の持っていないものへの欲望」が駆動する。これを追いかけて行っても、「『これでよい』という満足点がない」ために「真の満足がない」。

〈もしぼくが樹々にかこまれた一本の樹であれば、動物たちにかこまれた一匹の猫であれば、その生は意義があるだろう、というかむしろ生に意義があるかどうかという問題そのものが存在しないであろう、その場合ぼくはこの世界の一部であるのだから。〉(同前、p.92)

理性がない状態、自然の一部であった状態に戻れるのであれば、完結する。死について意識することそのものがないのであるから。しかし、それは人間ではなくなるということである。理性を捨てるとは、言い換えればコントロール欲を捨てるとは、人間であることをやめるということにもなってしまう。

だからカミュは、自殺ということが唯一の問題となるという。人間でありながら不条理から逃れるには、その方法しか残されていないのではないか、と。

しかし、カミュはこの不条理の中で生き続けることが、「真の努力」であると記す。

〈真の努力とは…可能なかぎりその場に踏みとどまって、この辺境の地の奇怪な植物を仔細に検討することなのである。不条理と希望と死とがたがいに応酬しあっているこの非人間的な問答劇を、特権的な立場から眺めるためには、粘りづよさと明晰な視力とが必要である。〉(同前、p.23)

最終的には死に向かうコントロール欲ではあるが、その過程では必ず他者に向かう。幸福を求めるために、「相手の気持ちにかまわず相手におのれの欲望を受け入れさせることが真の目的となる」。たとえば「恋」とは、このような状態の先鋭化されたものを指すように思われる。

バルビュスの主人公は、そのコントロール欲を直接相手に向けることなく、壁越しに覗くだけであった。しかし、その分、自らの中にあるコントロール欲を見つめ続けることになったのかもしれない。この小説に救いはない。だからこそ、地獄でもある。ここでいう地獄とは、おそらくカミュの記す不条理とほぼ同じ意味であると私は思う。
気がつかなければ、そのまま生きて行けば良いのだろう。うっかり気がついてしまえば、それを忘れるように生きて行くこともありだと思う。このパターンに気がついてしまい、“人間であるまま”不条理から逃れために自殺をしてしまう人を、私は非難できない。

私は、カミュのいう「真の努力」を続けたいと思う。もちろん、カミュほどのレベルではないものの。目を逸らすことを拒否しようと思う。耐えられる限り。

(注)
注:このコンセプトを小説化したものがカミュの『異邦人』である。

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