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個人的無意識と集合的無意識について

1.フロイトにおける個人的な無意識

フロイトは、意識している部分と、意識に抱えておくことができなかったものを追いやる無意識に分けて、人間のシステムを考えた。いわば、2つの部屋がある家である。

意識の部屋は、社交会に使う部屋で、お客を通すための綺麗にしている部屋である。昼の、日の当たる部屋である。こちらには、見目麗しい人々がやって来る。ホスト役の家人も生き生きしている。

しかし、客を招く際に、段ボールだとかゴミだとか古雑誌だとかを押し込んでおく、扉を閉めた“物置”のような、“納戸”のような部屋があるだろう。それが、無意識の部屋である。夜の、日の当たらない部屋である。こちらの部屋の前には、迂闊に人に入られないように、あるいは押し込めたものが溢れ出て来ないように、ガーディアンが立っている。軍人のような、いかついおっさんが立っている。

フロイトが『ヒステリー研究』の中で提出しているエリザベートという症例ががある。この女性は24歳の女性で、“神経学的には異常がないにも関わらず、2年以上歩けない”という症状を持っていた。姉貴の旦那であるAさんに結構惚れていた。あるとき、姉貴が死んでしまった。エリザベートはうっかりと、「おっしゃ!これであたし、Aさんと結婚できんじゃね!?」と思ってしまった。

しかし、時代は19世紀のオーストリアである。いくらなんでも、これは不謹慎すぎる考えであった。エリザベートは、その“あらぬ考え”を、意識の部屋に、日の当たる部屋に抱えておくことができなかった。だから、納戸の部屋、つまり、無意識の部屋においやった。

追いやった「おっしゃ!これであたし、Aさんと結婚できんじゃね!?」という思いは、たとえば、ネグリジェのまま、頭にはパーマのクルクルをまいたまま、煙草をふかしている、太めの50代おばさんの姿を進呈しよう。このおばさんが納戸に追いやられて、黙っているはずがない。そして、意識の部屋に念を送るんだか強烈な臭気をドアの隙間から流し込むんだか、何だかはわからないが、とにかくエリザベートの身体というシステムに直接働きかけ、「歩けなくなる」という症状を出させるに至る。それは、気が付いて欲しい、日の当たる部屋、意識の部屋に戻りたいというメッセージでもある。そのメッセージを聞き入れ、意識の部屋の中に、おばさんの居場所を確保しないことには、その症状は消えることがない。

大雑把に言えば、これがフロイト理論の骨子である。


2.ユングにおける集合的無意識

しかし、フロイトの弟子でもあったユングは、納戸の奥に、もう一つ、扉を想定した。薄暗い納戸の奥にある扉は、いわば異世界への扉である。もう少し説明する。

ユングは、統合失調症患者が観ている幻覚の内容が、超絶古く、しかもギリシャ神話の中でも激烈マイナーなものの内容と酷似しているケースを発見した。それをきっかけに、元からマニアではあったものの、さらに様々な国の民話や神話や昔話を集めまくり、同じような話を見つけまくった。当然、同じような話というものは、シルクロードを通って遠方まで語り継がれたから似ているのだ、というような伝播理論が主流である。しかし、同時期に、とても伝播するには時間も労力も交通手段も足りない距離で、同様の話がありまくるというのは、伝播理論で説明するのは少々苦しいのではないか、という発想に至る。

そして、世界には、常に一定の、目に見えない巨大なデータベースがあり、そこに“接続”できるエリートが存在していたのではないか、という仮説を打ち立てた(インターネットがこれだけ一般的になると、イメージしやすい)。その巨大なデータベースのことを、「集合的無意識」と名付けた。

あくまで、仮説である。しかし、そう考えると、統合失調症の患者が“うっかり観てしまう”幻覚が、神話の内容と酷似しているというのも、説明することはできる。統合失調症の患者は、準備ができていない状態でうっかり巨大データベースに接続し、そちらのエネルギーに圧倒されてしまって、データベースの生データをそのままの形で外部へ流してしまっている状態とも考えられる。

さらに、シャーマン(巫女・巫覡。彼らは古代社会において、スーパーエリートである。神話を作り出すのも彼らの仕事であった。日本で似たものは、たとえばイタコやユタ)になり得る人々は、シャーマンとなる前、まさに統合失調症的な兆候を現す人々であることにも説明がつく。幻覚や妄想など、急性期的な兆候を示すと、シャーマン育成機関から徹底的に訓練が施され、巨大データに圧倒されないよう、肉体的にも知的にもタフになる。ここで訓練に失敗すると、あるいは素質・素養が足りないと、いわゆる統合失調症となってしまう。

これで、おおかたのことは説明できる。それが真実かどうか、という話ではない。うまく説明できるかどうか、それが重要である。

この考え方を元に、ユングは「元型」というアイデアを提出した。神話とは、いわば当時のスーパーエリートたちが、民族を引っぱって行くために紡ぎ出した、民族のための生き方指南物語でもある。しかも、それが数百年とか、場合によっては何千年と残っているとしたら、そのエネルギーは半端ではない。そういう各国に残る神話には、おおよそ決まった形式のキャラクターが登場している。ヒゲの生えた知識を司るジジイ、破壊と再生をもたらすいたずらもの、生を育み死んだ者を飲み込むような母なる大地、同じような見た目だが聖なる者と邪悪な者の対。そういうものは、神話におけるひな形、神話素などとも呼ばれていたものであるが、一応、ある程度整理して、ユングは「元型」と名付けた。

ある種のひな形であるから、そのままの形で現れるわけではない。文化背景によって、そのエネルギーは現れ方を変える。たとえば、“完全武装をして雄叫びを上げる女神”は、ギリシャ神話ではパラス・アテネとして出現し、古事記においてはアマテラスとして出現するのかもしれない(この場合は「アニマ」という元型を考えるべきなのだろうか)。その性質は、もちろん微妙に異なるが、共通項もかなり多い。それが、元型のとらえ方である。


3.ビッグバンを引き起こすようなエネルギーそのものを想定する

たとえば、現在における宇宙理論では、一応以下のように考えられているのだろう。体積はゼロだが質量は無限という無茶苦茶な状態をスタート地点として、ビッグバンとよばれる強力な爆発が起こり、その爆発の過程で現在も宇宙は広がり続けている、と。見て来たわけではないのでそれはわからないが、色々と証拠を集め、理論物理学者が計算式を立てまくっている。

しかし、たとえば、そういう流れのなかで太陽ができ、地球ができ、人間が生まれ、ということである。偶然であるのは確かであろうが、それでも、そんなわけがわからないレベルの、考えるだけで気が遠くなってしまうようなエネルギーが、ビッグバンの元にはあったわけである。そういうエネルギーを発生させている大本を想像する。

それは、もう超強力なエネルギーとしか呼べない。形があるとも思えない。あったとしても、そもそも“体積ゼロで質量無限”ですら想像できないのに、それを生成するエネルギーそのものなど、視覚化できるはずがない。それを神と呼ぼうがタオと呼ぼうが、まぁそれは私はどうでも良い。私にとってはエネルギーとしか呼びようがないのである。

現在も広がり続ける宇宙を覆い尽くしているというか、その根元にあるというか、そういうエネルギーを、一応絵に描いてみる(図1)。禅などで、丸を描くことが空(くう)あるいは無(む)を描くことでもあるというのは、多分、このイメージだろうと、私は勝手に思っている(井筒俊彦によれば、「空(くう)」とは、からっぽのことではなく、中身が無限につまって、あまりにもつまり過ぎて一見ゼロであるような、そんな状態であるらしい。つまり、ビッグバンが始まる寸前の宇宙の状態ともいえる)。

このエネルギーの、はじっこの部分を拡大してみる(図2)。すると、超細かい突起が出ていることがわかる。この突起一つ一つが、個人であると想定する(もちろん、物体も植物も動物も含まれるのであろうが、ややこしくなるので人間だけに限定する)。

フロイトの言っている意識と無意識とは、図2にあるように、この突起先端の部分の話である。これが、意識の部屋と、無意識の部屋である。

このエネルギー体の中には、元型が漂っている。ただし、周辺部から中心部に行くに従って、そのエネルギー量は増えて行く。周辺部にある元型は、たとえば「シャドウ」であり、中心に行くに従って、「グレートマザー」や「老賢者」、さらに奥には「アニマ・アニムス」、そして「セルフ」が存在する、といったように。

それらの元型が“何故”あるのかは知らない。ただ、そういったものを想定すると、ギリシャ神話や古事記、インド神話などの多神教神話における様々な神々の序列や強力さ、イメージなどもうまく説明できる。

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