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アスペルガー障害について

アメリカ精神神経学会の『精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)』(注1)において、アスペルガー障害という名称はなくなった。今まで、いわゆる自閉症と呼ばれていたものとアスペルガー障害は、一括して「自閉症スペクトラム障害」あるいは「自閉スペクトラム症」と呼ばれることになった。つまり、言語に支障がある場合も、支障がない場合も、グラデーションするけれど一括した診断名とする、ということである。

DSM-ⅢからDSM-Ⅳに切り替わった際には、新しく論文を書く際にDSM-Ⅳを用いなければ論文が通らない、というほど、絶対的な切り替えであった。しかし、DSM-5発刊の際には、現段階ではDSM-Ⅳを用いて論文を書いても良い、ということになっている。つまり、併用である。だから、アスペルガー障害という診断名も、“生き”である。大変紛らわしい。

結局、DSM-5が、あまり信頼がおけない、ということにもつながっているのだろう。しかし、DSM-5を用いた診断も併用されることになるのだから、知らないとまずい。

ひとまず、「自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症」の現状はどうなのか。

〈爆発的な増加:自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症は非常に稀な疾患だったが、近年では20倍に増加し、今では全人口の1%以上が診断される。〉(アレン・フランセス『精神疾患診断のエッセンス DSM-5の上手な使い方』金剛出版 p.36)

20倍。全人口の1%以上。なるほど。DSM-Ⅳの際には、自閉性障害は、1万人に4人、という割合であった。“言語に支障がない自閉症”ともいえるアスペルガー障害の割合は、疫学上正確な数字が出せずにいたようであり、自閉性障害よりは多い、という漠然としたものであった。しかし、自閉性障害とアスペルガー障害を合わせて、全人口の1%というのは、あまりにも多い。

〈流行した理由:レッテルの貼りかえによって割合が急速に変化したのであり、自閉症的行動の割合が実際に変化したものではない。有病率の増加の一部は、診断される例が増えたこと、偏見が減ったこと、重症例でないものを診断するようになったことによる。大部分は、自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症の診断がさらなる学校サービスを受けるための必要条件であるために、診断面接や正確な評価が行われないまま診断をつけられている。〉(同前、p.36)

アメリカにおいて手厚い教育サービスを受ける際、「自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症」の診断を受けることが条件であるならば、「もらえるものならもらっておきたい」ものとなる可能性はあるだろう。それは、別段あさましい行為とは言えないと思う。しかし、診断名が乱発され続けると、「自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症」という名称が、サービスを提供する際の基準とならなくなってしまうのだろう。

〈奇妙さというのは人生のスパイスであり、必ずしも精神疾患の症状ではない。…軽度の自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症は、受け入れられるべき一般の個人差といつの間にか同程度なものとなっており、病理的なものではなくなっている。〉(同前、p.37)

つまり、本当に障害の場合と、一般の個人差というものが混在することになるため、サービスを受けられるかどうかを判断する基準として“使えない”ものとなる。結局、サービスの中にかなり顕著な強弱をつけざるを得なくなる。

これを読んでいて、私は電車における「全席優先席」の話を思い出していた。

“全席優先席にしたら、席を譲る頻度が上がるかと思いきや、別段今までと変わらなかった。そのため、「最優先席」を設けることになった。”

そのまま同じ話ではないことはわかっている。ただ、結果的に基準が広がってしまったら、判断基準として役に立たなくなった、という点は、おそらく共通している。

全体的に教育サービスの質向上をはかる、という点では、もしかしたら診断名の乱発は役に立ってしまうかもしれない。現に、日本における教師たちは、「軽度発達障害」という言葉を頻繁に用いているし、児童生徒対応の際に、その用語を“乱用”することもある。しかし、「スペクトラム」なのであるから、強度がグラデーションする。最終的には、“最重度”「自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症」などという診断名が登場するのかもしれない。最優先席のように。

ただ問題は、学校現場でそれら診断名がどのように用いられることが多いのか、という点である。

私はどうしても学校現場で精神疾患の診断名を聞くと、“憑き物”を思い出してしまう(注2)。少なくとも日本人は、“手に負えない、理解を超える出来事”に対しては、“憑き物”の“せい”にして、片付けるという方略を採用した場合があったことは確かなようである。世界的には“悪霊”“悪魔”の“せい”だったりもするのだろう。

現在、さすがにキツネに憑かれた、と言われてそのまま信じることができるような環境にはない。かつての人々は、それが真実味を帯びていたのである。そういう物語が生きていた。では、その物語がどう変わったのか、という点が問題である。ベースにあるのは科学主義であり、科学的なデータに基づいて、医学的に言われれば、“生きた”物語となりうる、という部分である。

現代において、精神疾患の診断名は、ある意味では“キツネ”“オタチ”“イヅナ”“カッパ”などと同等の効果を発揮している場合も多いように思える。

そういう意味では教師にとって、いや大人たちにとって、“手に負えない”と思い込んでいるものが随分増えてしまった、ということなのかもしれない。つまり、ちょっとでも手に負えないと思えば、“精神疾患”の“せい”にしてしまいたくなる、そういう風潮があったのかもしれない。何も、「自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症」に限らず。

教師に限らない。カウンセラーも、医師も、親も、つまり大人一般は、何かの“せい”にすれば、考えなくてすむ。楽である。その“せい”であるものを、切り離してしまえば良いから。

先日、国立教育政策研究所におけるいじめ調査の話を聞いたが、いじめの実数も、実際には変化がないようだ(http://www.nier.go.jp/shido/centerhp/2507sien/ijime_research-2010-2012.pdf)。つまりずっと、増えも減りもしていない、ということである。

たいていの物事は、おそらくそうなのだろうと思う。どちらかというと、“変にいじり回す側”における流行の度合いが、増えたり減ったりしているということなのだろう。特に、精神疾患のような、生物学的な基盤が深く関わるような事態について言えば、さほど変化はないということなのかもしれない。まぁ、猫の根本的な性質が10年や20年で大改革してしまったらびっくりである。人間だって動物なのであるから、10年やそこらでそこまで大きくは変わらないだろう。

どちらかといえば私は、その流行にカウンターをあてるような役割を持ちたいとは思っている。「発達障害が増えている」「いじめが増えた」という流行に関しては、一貫してカウンターをあてることにしていた。「新型うつ病が増えている」に関しても、カウンターをあてることにしている。

たとえば教師が、「医療的な問題であるから、それは医師に任せておけば良い」というような思考パターンに入ってしまうことを、私は最も恐れている。私は教職課程をメインで教えている関係上、教師と児童生徒にとって何が最も有効かを考えたい。おそらく、教育の技術において、診断名がなかった頃から、診断がつけられてしまう状態に対して有効な手だてはたくさんあったのだ。それが、診断名という憑き物によって封印されてしまうとしたら、大変な損害である。かといって、正確に理解する助けとして診断名を用いることはかまわないのだろう。このあたりは大変難しい。

私が目下できることとしては、まず、教員対象の研修会などで、頑張って伝え続けることぐらいか。

(注)
注1:日本語版はまだ出ていない。英語版は、2013年5月発売。
注2:速水保孝『憑きもの持ち迷信』、吉田禎吾『日本の憑きもの―社会人類学的考察』、内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』など参照のこと。

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