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バケツの水を流すこと

学生の模擬授業を見ていて思ったこと。

用意した内容をそのまましゃべろうとすると、「内容が飛ぶ」。また、原稿丸読みのような話し言葉になってしまう。これは、見ている限りでは結構多い。発表を課すと、原稿そのままを丸読みする学生も相当数いるが、さすがに模擬「授業」となるとそうはいかない。

原稿を予め書いておくことは必要である。それは頭の中に、「道筋を作っておく」ために必要な作業である。たとえば、土の斜面に、バケツにくんだ水を流す。何度も流していると、土が削れて、まるで川のように、水が流れやすくなる箇所ができる。原稿を書く作業とは、この「バケツにくんだ水を流す」作業である。ここでしっかりと、何度も水を流しておけば、しゃべるその場になった際、あとはその時に水を流せば「ちゃんと」流れることがわかる。だから、原稿の内容を一字一句覚えている必要がなくなる。つまり、精緻に原稿を書くことは、原稿の内容を「忘れる」ために行う作業ともいえる。

また、水が流れる道筋さえちゃんとできていれば、途中で脱線することも可能になる。順序が変わっても、途中から話を始めることもできる。水が流れる道筋ができているのだから、安心していられる。本筋とは違う内容であっても、つまり脱線の内容に関する溝も、別の機会にきちんと作ってあったとすれば、そちらの方向で話を膨らませることもできる。もちろん、戻れないといけないけれど。

この作業の面白い所は、まれに、自分が元々原稿に書いた結論とは異なる場所に着地することである。それは極めてスリリングで、面白い。自分が作った道筋の通りであると、「うーん、この話、俺知ってるし」となる。しかし、話している最中に、今までとは微妙に違う場所に水が流れて行くと、「おぉ!?俺、どこに着地するんだ!?」という感覚が訪れる。しかし水は、流れるべき方向にしか流れない。だから、安心して、その流れを追えば良い。すると、最終的に「おぉ…。こういう結論になったか…」と、しゃべっている自分が感動することになる。

もちろん、ある程度慣れなければ、ただの支離滅裂な話となりかねない。そうならないためには、あらゆる機会に水を流し、道筋を作っておくことである。思わぬ川と川が、末端で結びつくことがあり得る。違う川だと思っていたら、源流が同じということもある。

これは、文章を書いていても同じである。書いてはじめて、自分が考えていたことに出会うことも多い(内田樹氏はよくそう書いているが)。たとえば、前段落で書いた「思わぬ川と川が、末端で結びつくことがあり得る。違う川だと思っていたら、源流が同じということもある」という箇所は、この文章を書き始める際にはまったく考慮していなかった。書いていたら、そういう場所にたどり着いた。

既に書いた箇所については、考える必要がなくなるために、「脳内メモリ」に余裕ができる。そのため、異なる発想に利用することが可能となる、場合があるのかもしれない。わからないけど。

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