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x軸とy軸

喫茶店に入る。

近くで話しているのは40代前半のカップルだろうか。お互い「手入れ」が行き届いているからか、見た目としては大分若く見える。ただ、声はなかなか誤魔化せない。

女性はむすっとしている。男性はうつむきがちに、落ち着いた声で、諭すように話し始めた。

「だからね、さっきも言ったけど、今までも何度も何度も何度も、言ってきたことなんだよ」
「・・・」
「また、そうやって黙る」
「・・・堪忍袋の緒が切れたってこと?」
「・・・俺はさ、君と一緒にいたいと、これからもずっと会っていきたいと、そうしたかったから、何度も何度も、」
「それで?」
「そうやって途中で・・・。気に入らないとむすっとするか、黙るか・・・。さっきだって、『じゃぁ1ヶ月に1回食事すればいいってことでしょ』って、そういう言い方されて、はいそうですね、なんて言えないでしょ?」
「・・・」
「・・・」
「やめようってこと?」
「そうしたくなかったから、今までも何度も話し合おうとして来たんじゃないか」
「でも、話し合いにならなかったって言うんでしょ?」
「そうだけど・・・。だから、どうするか、」
「じゃぁ、終わりにすれば良いんでしょ」
「・・・それが、君が選択したことなら」
「私に選択肢がいくつもある?ないでしょ?」
「・・・」
「・・・」
「悲しいよ」
「なによそれ」
「何とかならないのかな」
「ならないんでしょ。堪忍袋の緒が切れたんでしょ」
「・・・今までいろいろ、俺はどうやったら伝わるだろうかって、考えて、伝えようとして、」
「あなたは頑張ってきたって言うのよね」
「・・・」
「で?話は終わり?」
「・・・そうだな。出よう」
「はい。そうしましょう」

極めて強い既視感がある。同じようなやり取りを、私は何度繰り返して来ただろう。

すれ違っている。同じことを話しているのに、お互いが足場を置いている軸が異なっている。

男性側が言いたいことは、私には大変良くわかる。それと同時に、女性側が、男性のそのような姿勢によって、どのような印象を受けていたのか、多少ではあるが感じ取ることができるようになった。もちろん、合っているかはわからないけれど。

想像力にブーストをかける。

男性側は、理路整然と、物事の時系列的な順序と、言語的な次元での話をしていた。伝えた言葉の内容を正確に覚えていて、そのタイミングもかなり正確な記憶があるようだった。その時に彼女がどのように応えたのか、それに従って彼がどのような行動をとったのか。ビデオ撮影された記録をもとに、現場検証をするかのようだった。おそらく男性側に、記録的には非がない。だからこそ、そこに根拠を置く。自分は間違えていない、誠実に努力をしていたのだ、と。

女性側は、そのような彼と一緒にいる際に、どのように感じていたのだろう。それを、彼女は言葉にすることができないようだった。彼女には、感じ取って欲しいものがあるようだった。それは言葉ではうまく表現できなかったから、むすっとするとか、黙るとか、そういう非言語的なもので伝えるしかなかったのかもしれない。そこで汲み取ってもらいたいものは、おそらく感情であったということ。非言語的なものを、言葉にせずとも感じ取り、優しい目で受け止めて欲しかった、あるいは怒って欲しかったということ。つまり、甘えたかったということ。ごく稀に、それが満たされるタイミングが訪れはした。しかし、求めているものとは違っていた。言葉にすることはできなかったから余計に、何とも言えない不全感があった。しかし、その不全感を汲み取ってくれることはなかった。男性は努力していたのかもしれないが、彼女もまた、努力をしていた。我慢もしていた。彼が常に理路整然としていることは、非の打ち所がないということは、逆に言えば、理路整然としていない、混沌と矛盾をはらんでいる彼女は、非難されているようにも感じられていたということ。それに、彼は気づいてはくれなかった。いつも下に見られているような、対等ではないような、バカにされているような、そんな気がしていた。しかし、うまく言葉にはできなかった。せめて彼には、「感情的に」怒って欲しかった。同じ土俵に入って欲しかった。だから、「食ってかかった」。それでも彼は、冷静だった。また、バカにするかのように。

たぶん、お互いに、本当に別れたいわけではないのだろうと思う。男性側からすれば、非論理的な感情を持つ彼女は、魅力的に映ったであろう。彼女からすれば、理路整然とした理性を持つ彼が、魅力的に映ったであろう。自分にはない真逆のものを持っている異性は、輝いて見える。

もしかしたら、喫茶店を出てから、一時的に何とかなったかもしれない。しかし、今のままでは、それほど長くは続かないだろうとも感じる。

男性側も、理性だけではなく、自分の中の感情的な部分を育てなければならなかったのだろう。女性側も、感情だけではなく、自分の中の言語化する理性の部分を育てなければならなかったのだろう。お互いが、そのままの、生の形のままでは、どうしたって伝わるわけがない。もちろん人間同士、考えていること、感じていることが100%伝わるなどということはあり得ない。超能力ではないのである。しかし、歩み寄る必要はあった。折り合いをつける必要があった。そのためには、生まれ持った素質とは真逆のものを、少しずつでも育てていく必要があった。

男性は、理性というy軸に基づいて、話していた。女性は、感情というx軸に基づいて、表現していた。それぞれの軸において、それぞれが正しい。しかしそれでは、y軸とx軸が交差する点は、ゼロでしかない。そうではなくて、平面上で、互いに「xy座標」でやり取りしなければならなかった。

男性は、感情という軸を育てていたのだろうか。女性は、理性という軸を育てていたのだろうか。

おそらく二人は、私よりも年長である。雰囲気と会話内容からして、「真っ当な」付き合い方ではないかもしれない。今から変化することが可能であろうか。

女性は案外、何歳からでも変化できる。私の知る限りでは、女性の方が柔軟である。しかし、男性はどうだろう。

私はどうなのだろう。まだ、変わることができるだろうか。

この男性を見ていて、極めて強い親近感を覚えた。この男性を通して私が見ていたものは、私だった。

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