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「告白をするとき」のこと

知人・友人・学生などから、恋愛相談を請け負うことが稀にある。

まぁ、私に聞いたところでロクな回答は得られない。それは、私を良く知っている人からすれば、おおよそ見当がつくだろう。とはいえ、私もカウンセラーの端くれなので、私の方から何か「アドバイス」をすることは滅多に無い。拙い「聴く技術」を先鋭化させて相手の話を聴き、相手が半分意識していることを浮上させ、それを意識化してもらうことに一点集中する。誤摩化す、というと語弊はあるだろうが、私としては至極真剣なのである。そもそも、どうやったら告白が成功するかとか、どうやったら彼女彼氏と上手くやっていけるのかとか、私には皆目見当もつかない。むしろ教えて頂きたい。

そうは言っても、いくつも聞いていると、ある程度の方向性というか、そういうものが感じられるときもある。

私が「あぁ、この人は告白しても、あんまり上手くは行かないだろうなぁ…」と思う場合がある。その共通点は、告白しようとしている人が、「いかに自分を受け入れてもらおうとしているか」にエネルギーを注いでいるパターンであった。実際このパターンでは、告白した後に速攻でフられる、あるいは一応付き合うことにはなるものの長続きしない、ということがあるようだった。

まず、「好きな人がいる」と言っているのだが、どういうところが好きなのかを聞くと、大変表面的であることが多い。「見た目」であるとか、「優しい」であるとか、「明るい」であるとか、「いつも元気な笑顔」であるとか、「友達が多い」であるとか。もちろん、一目惚れということもあるし、そのあたりはあまり突っ込んでも仕方がないかもしれない。仕草や表情の作り方も「見た目」には含まれるわけであるから、重要なファクターとはいえる。しかし、たとえば私が〈その相手のどんなところが知りたいだろう…?〉と問うと、急に答えに窮することが多い。

だから、私は質問を変える。〈えぇと…、たとえばさ、好きな芸能人とか、歌手とか、そういうのはいるかしら?〉。そこで、たとえば広末涼子が出て来たとする(世代の問題があって申し訳ない)。〈広末涼子の、たとえばどんなことが知りたいかしら?〉。こう聞くと、案外すんなりと、色々なことが出てくる。好きな食べ物が知りたい、オフの時にはどんなことをしているのか知りたい、好きな映画、本、絵画、小学校の時にやっていた習い事、部活、音楽系ならそのパートなどなど…。

広末涼子が相手なら、これだけ沢山出てくる。しかし、その「告白したい相手」に対しては、広末涼子ほど、「知りたい」ことが出て来ない。これは何故なのだろうか。

おそらく、広末涼子に、「自分を理解してもらい、受け入れてもらえる」余地はほぼゼロである、という点が大きく関わっているように思う。芸能人は、私たち一般人とは生きている世界が違い過ぎる。だから、「自分を受け入れてもらう」ことに関しては、ほぼ思考がストップするのではないか。「完璧な片思い」であることを十分に承知しているからこそ、相手のことを沢山知りたい、皆が知っている情報だけでは満足できない。そういう思考パターンに入るように思う。

もちろん、この方向性を日常生活で告白したい相手に対して発動し、かつ無理に実行すると、それは「ストーカー」となる。一方的ではいけない。相手の反応を見ながら、極めて繊細に立ち回る必要が出てくる。しかし、「知りたい」という気持ちが勝ることが、いわゆる恋でもある。

広末涼子が読んでいる本を知ったら、それを読んでみたくなるだろう。彼女が好きな映画も見たくなるだろう。どんなシーンが好きなのかも、何らかの方法で知りたくなるだろう。相手が広末涼子の場合には、ネットなり何なりで調べ、さらには金銭を引き換えにファンクラブに入って独占情報を入手するしかないが、身近な人であれば、会話をすることができる。

だから、「告白する」という前段階に、この作業を入れる必要が出てくる。実際に話し合える間柄となり、好きな本、映画、絵画、部活をやっていたらその話、さらには好きなシーンや役者の言葉遣い、好きな食べ物を出してくれる店、そこで出される前菜のプチトマトの味、好きな季節に見る好きな場所から見た海の色、そういったものを語り合える仲になる。そして、実際にその海に行ってみて、店に行ってみて、映画を観て、本を読んで、相手が何を感じていたのかを知りたくなるのではないか。どのシーンで泣いたのか、それを知りたくならないか。

その作業があったら、堂々と「好きだ」と言えるようには思う。そして、フられても、案外気持ちのいい涙も流せるようにも思う(しかし、私が誰かと付き合う際にはこれらすべての段階をアカラサマにすっ飛ばしたりするので、本当に何のアドバイスもできない)。

私の授業でも、いわゆる傾聴技法を取り扱う。頷き・あいづち・繰り返し・気持ちの反射・言い換え・要約・オープンクエスチョン。さらには座る位置、パーソナルスペース、視線の位置などなど。しかし、これらはあくまでも「型」であり、そのまま実行すれば相談者が心地よく話すことができるわけではない。あくまで、「まずいこと」をしないように、一応型をお伝えしているだけである(「まずいこと」とはたとえば、相手の話題を奪う、頷きまくることで不快感を与える、生返事をするなど)。言ってみれば、『あなたもこれでモテる!』という本を読んで、その通りに実行すればモテるわけではない。というか、モテるはずがない。本質をつかまなければならない。

傾聴技法の本質は、おそらく、「人は、たいてい自分のことを話したがっている」という部分にフォーカスがあてられている。どんなに内気な人であっても、それは自分のことを話したくないということとイコールではない。ほとんどの場合、聞き手の「聞き方」が悪いから、話し出せないということばかりである。私がスクールカウンセラー時代に会っていた児童生徒のほとんどが、クラスでは「あまりしゃべらない」タイプであった。しかし、私と会っている最中は大変良く話すということも多い。

人は、話したいのである。自分のことを理解してもらいたいものなのである。それは、私自身のことを振り返っても良くわかる。私は、自分の話をしたい。私を、理解して欲しい(何せ、その月に私が考えたことを延々と話し続けるという勉強会まで開いてしまうのである。そんな垂れ流しを、わざわざ足を運んで聞きに来て下さる学生の皆様には心から感謝。そして、この長文をここまで読んで下さった福祉精神に溢れる方にも大感謝)。相手が話したいことを、ソクラテスの産婆術のように、うまく、するっと引き出すこと。そこが傾聴技法の本質的な部分なのであろうと、私は思っている。だから、使う者のキャラクターによっては、様々な部分が修正されることになる。

つまり、告白するのであれば、その告白したい相手の「話したい欲望」に火を付けなければならない。その際、傾聴技法は役に立つだろう。これは、「自分を受け入れて欲しい欲望」だけで押し進めることとは、まるっきり違う。全然違う。

「自分を受け入れて下さい!」という告白の場合、自分のことを伝えまくって終わる、ということである。「自分のことを話したい、自分のことを理解してもらいたい」という、自分の欲望のみを相手にぶつけていることになる。相手としても、「そんな、自分のことばっかり言われても…」ということになるだろう。ストーカーと呼ばれてしまう状態の場合にも、自分がいかに相手のことを好きであるか、という点のみを一方的に伝えることにもなる。自分自分自分。相手のことは見えていない。これは、言ってみれば、気持ちが悪い。

相手に興味を示すこと。徹底的に興味を示すこと。まるで、広末涼子を知りたいかのように、告白する予定の相手について思いを巡らせること。おそらく、これが第一歩なのであろう。

これができるようになった。確かに告白は成功した。付き合うことが成立した。しかし、問題はまたやってくる。最初のうちは、「相手のことを知ろう」というエネルギーが持続してはいたものの、徐々に、「自分のことを理解して欲しい」部分が前面に出て来る。Love don't come easy, but it's a game of give and takeと歌っていたのは誰だったか。まぁ、ここでいうギブ・アンド・テイクは、おそらくこのエネルギーの交換のことなのだろうと思う。

そして、私はこれが下手である。めっぽう下手である。カウンセラーとして金銭を頂いている際には、仕事なのでさすがに大丈夫だが、日常生活では大変不得意である。喧嘩やいざこざの主な原因は、私側の「俺のことを理解してくれ」がめちゃくちゃ出てしまう時である。そして、私が相手のことを理解するためにエネルギーを割けていない時である。まったくもって、ギブ・アンド・テイクになっていないのである。であるが連発するくらい不得手なのである。

頭で理解できていることと、実行することは、随分違うらしいぜ。

さて、どうするか…。

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コメントしてみました(笑)

稲垣先生の文章はいつ読んでも、引き込まれてしまいます。
とても興味深い内容でした。

>副代表殿

おぉ!こんな長文読んでくれてありがとう!!
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