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2013.12.30 「ゴンボリズム」ライブ告知(12/27更新)

定期連絡ですみません。「ゴンボリズム」ライブ告知です。出演時間等、およそ決定しました(開場の時間は、おそらく出演バンド数が以前より増えているため、少し速くなっておりますが、ゴンボリズムにはあまり影響はないようです)。

日時:2013年12月30日(月)18:00開場
場所:四谷アウトブレイクにて

ゴンボリズムの出番は20時からです。7曲やります。私はボーカルです。

もし時間がございましたら、よろしくお願い致します。

2013123001.png
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1/8(水)水曜の会

1月の水曜の会は、

1/8(水)17:00から18:20
14−101

です。テーマは決まり次第お知らせ致します。
よろしくお願い致します。

苦手なもの

平日朝9時。パチンコ屋の隣にある喫煙所にて。おそらく65歳を超えた女性2人が話している。

A「だからさぁ、同じ3千円使うんだったら、おいしいものでも食べた方が良いのよ。お店にもお金が入るわけだしね。私の良く行くお店があってさぁ。そこのお店にも、長く続けてほしいわけよ」
B「うんうん」

そうか。パチンコをおやめになるのか。

A「この前なんて、1パチで3万円負けよ!?」
B「え、1パチで??」
A「そうよぉ。だから、店長呼んでやったわよ。向こうは、そんなはずはない、って言うんだけどね。それだけ入れてたら絶対出るはずだって。だったら確かめてごらんよって。朝9時から夜9時まで同じ台で打ってたんだからって。で、データか何か、確かめたんでしょうね。次からずっと出てるわよ」
B「へぇ‥」

それに懲りて、おやめになるということだろうか? いや…

A「じゃぁ、行ってくるわ」
B「はい、いってらっしゃい」

…やっぱり行くのか…。ほぼ、開店と同時にAさんは、喫煙所の隣にあるパチンコ屋に入って行った。

私は度胸がないからか、少しでもやり始めたら絶対にはまってしまうことを知っているからか、今までギャンブルものを行ったことがほとんどない。しかし、ギャンブル以外の対象については、「中毒」「依存」状態になったことがある。特に私にとって、ゲームやネット関連のものは大変に危険である。今だって、ここに書いているという事実がすでに、依存状態であることは十分に意識している(そのため、講演会のネタになりそうなもの、あるいは論文の元ネタになりそうなものを書くことで、ギリギリ「折り合い」をつけようとしている。しかし、あまり折り合いはついていないようだ)。

精神科医の中井久夫は、アルコール中毒患者にこう言うらしい。

「あぁ、アルコールが苦手な方ですね」

ほぼ確実に、「そんなことはありません。私はアルコールが大好きなんです」という反論が来るそうだ。しかし、中井さんは、少し声のトーンを落として、つぶやくようにそっと、こう返すという。

「うん。やめたいときにやめられないのを、苦手というんだよ」

後で中井さんの原文は確認するが、およそ、このような内容だったと思う。

この感覚は極めて重要である。「好き」であるということと、「苦手」であるということは異なる。

「依存」「中毒」になるものは、「苦手」なものである。つまり、ギャンブルやネット、アルコールなどの、対象が持つエネルギー量にやられてしまうということ。だから、やめたいときにやめられない。とめたいときにとめられない。(前頭葉の働きが弱いと中毒症状に繋がるなどと言われることもあるようだが、それは前頭葉機能の一つに「抑制機能」があるからなのだろう。しかし私は、「前頭葉に問題がある→中毒」、という因果関係の方向性には疑問を持っている。「苦手」ではないものに関しては、抑制が利くこともあるだろうから。やはり、「苦手」という認識が的を射ているように思う。)

私は、ギャンブル系の話を聞くと、どうしてもドストエフスキーの『賭博者』を思い出してしまう。以下は、身を滅ぼそうとする主人公に対して、それなりに親身になって主人公のことを考えていたアストリーという者の発する言葉である。

<「あなたは感受性を失くしましたね」彼が指摘した。「あなたは人生や、自分自身の利害や社会的利害、市民として人間としての義務や、友人たちなどを(あなたにもやはり友人はいたんですよ)放棄したばかりでなく、勝負の儲け以外のいかなる目的をも放棄しただけではなく、自分の思い出さえ放棄してしまったんです。わたしは、人生の燃えるような強烈な瞬間のあなたをおぼえていますよ。でも、あなたはあのころの最良の印象なぞすっかり忘れてしまったと、わたしは確信しています。あなたの夢や、今のあなたのもっとも切実な欲求は、偶数、奇数、赤、黒、真ん中の十二、などといったものより先には進まないんだ、わたしはそう確信しています!」>(『賭博者』新潮文庫、p.299)

おそらく、ギャンブルで身を持ち崩すものには、このように直接的で、辛辣な批判の言葉が幾度もかけられることだろう。友人から。家族から。恋人から。しかし、主人公は最後までカジノにいる。以下はラストのシーンである。

<わたしは勝ち、二十分後には百七十グルデンをポケットに入れて、カジノを出た。これは事実である! 最後の一グルデンが、時にはこれだけのことを意味しかねないのだ! もし、あの時わたしが気落ちして、決心をつけかねたとしたら、どうだったろう? 明日こそ、明日こそ、すべてにケリがつくことだろう!>(同上、p.310)

アストリーの言葉は意味をなさなかった。いくら正論を伝えたところで、その効果はたかが知れていた。なぜならその内容は、誰よりも主人公本人がわかっていることだから。

ドストエフスキー自身、この小説にあることとほぼ同じ状況にあり、『賭博者』は、その最中に執筆された小説だとも言われている。つまり、ドストエフスキー自身、アストリー的な内容を自分自身に伝えていて、かつ、身を滅ぼして行くことを十分に承知した上で、ルーレットに明け暮れていたということになる。旅費や生活費、果ては衣服を質屋に入れてまで。

アストリー的な「正論」は意味をなさないかもしれない。しかし、「苦手」であるという認識は性質が異なる。おそらく、耽溺している者には、その対象が「得意である」という認識に傾いているはずだ。それが、「やめたいときにやめられないことを、苦手というのだよ」という言葉を「そっと」かけられることで、認識が変化する可能性は十分にある。ただ問題は、それを伝える者が、中井久夫レベルに到達していなければならない、ということではある。これはかなりの変化球であり、達人の域に達して初めて効果を奏するような物言いではないか、という気さえする。

「苦手」なものに近づかないのが一番なのかもしれないが、そうもいかない場合がある。その場合には、せめて自分はこれが「苦手」なのだ、と意識し続けることぐらいしかできない。周囲からの制限は、さほど意味をなさないのだろう。

ハマってしまうとは、「やめたいときにやめられないということ」。

ギャンブルにハマりやすい者は、ギャンブルが「苦手」である。
ネットにハマりやすい者は、ネットが「苦手」である。
メールにハマりやすい者は、メールが「苦手」である。
女にハマりやすい者は、女が「苦手」である。
男にハマりやすい者は、男が「苦手」である。
買い物にハマりやすい者は、買い物が「苦手」である。
仕事にハマりやすい者は、仕事が「苦手」である。

そういうことなのだろう。

苦手なものを行わなければならない時には、せめて、苦手であることを認識した上で、誰かにそばにいてもらうのが良い。苦手ではなく、得意な人に。つまり、「やめたいときに、やめられる」人に。

しかし、さらなる問題がある。「なぜ、中毒になるようなものに手を出したのか」。一体、「量」的なもので埋めようとしたものは何だったのか。このあたりは、水曜の会、木土の会、あるいは授業にて。

追記:
正確な中井久夫さんの文章。

中井久夫『世に棲む患者』ちくま学芸文庫 pp.125-126

<「アルコールを飲むことが病気ではない。やめられないのが病気である。何でもやりだしたら止められなくなるのは病気だ」といい、「どうやら君は酒が苦手なようだね」と述べる。「とんでもない、私は酒が大好きです」と患者は反論するだろうが、「止められなくなるのは苦手な証拠だ。だいたい、飲めない人は好きでも嫌いでもない、無関係なのだ」といい、ちょっと間をおいて「誰でも苦手なものが一つ二つあってもよいのだよ」とつぶやく。>

<家族はだいたいこまり果てているのが普通だから、「本人が治るためにはどんなことでもしていただけますか」と問い、「はい」といったら「たいへんやさしくて誰でもできるが実際にやるのはむずかしいことを一つだけお願いします」という。「何でしょうか」といわれたら「本人に恥をかかせぬことです」と答え、「時には酒をやめて偉かったね、ということばも恥をかかせることになります」といい添える。「どうして?」ときかれたら「薬も量がすぎれば毒になりますね」という。>

うろ覚えもあながち間違いではなかったものの、本文はもっと格好よかった。

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