スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

有名になりたい? →なりたいですね。

私は有名になりたい。名を上げたい。ちやほやされたい。こういった欲望がかなり強く私の中にある。それが前提であることをまず記しておく。

元来、私は友人が大量にいるタイプではない。それでも年齢が上がるにつれ、少しずつ友人が増えて来ている。例えばそういった友人と「飲みに行こう」となる。しかし、毎週飲みに行くわけにもいかない。職場などでの「仕事飲み」以外では、1ヶ月に1組か2組が限界である。1ヶ月で直接接触できる人間の数は、案外限られている。

例えば私が“有名”になったとして、それで人間関係が増えたとする。しかし、本当に親しいと思える人と接する時間は、今の(無名の)私とそれほど変わらないのではないか、とも思う。

限られた時間の中で接することができる人との繋がりには限りがある。時間を有効に活用できるかどうかは人によるのかもしれないが、それにしても1時間は1時間であるし、睡眠時間はとらなければいけない。どんなに有名になったところで、残念ながらそれはさほど変わらない。

有名になれば、クオリティの高い人との関係がとれるとか、出会いの確率が高くなるとか、そういった意見もあるのだろう。有名になるその方向性によっても変わってくるのだろうが、クオリティの高い人との関係も取りやすくなることと同時に、得体の知れない有象無象との関係も増えることは注意しておいた方が良いように思う。どちらも増えるのである。結局、ある種のクオリティを保った人と接触するには、それを嗅ぎ分ける嗅覚が必要であり、それは有名になったからといって身に付くわけではない。出会いが少ない中からでもクオリティの高い人を見抜けなければ、結局その量が増えたところで、質の低い「ババ」をひいてしまうことにもなるのだろう。そして「こんなはずじゃなかった」と思うのかも知れない。


もし、私が本を出版したとする。そして、Amazonなどで書評が書かれ、星をつけられたとする。そこで得られる評判は、Facebookの「いいね」の数のような、数値としての、量としての価値であり、その書評を書いた生身の人間について、私は深く考えることはあまりないような気もする。


有名であること、評判であること、それは一体何なのだろう。繰り返すが、私は有名になりたいし、良い評判も得たい。私が知らないところで、私についての良い噂が流れていることを望んでいる。しかし、その欲望は一体何によっているのだろう。


私が有名になった時、それを誰に伝えたいか。誰に「凄いね!」と言って欲しいのか。明らかに、近しい人たちから言ってもらうことを想定している。人に寄って違うのかもしれないが、私の場合はそうである。想定している世界がとても狭い。

他者から褒められれば嬉しい、だから評判が良ければ嬉しい。そう単純なものではないようにも思う。私が褒められたい人は、結局私が良く知っている人たちである。全然知らない人から褒められることも、気分としては悪くないだろうが、良く知っている人から褒められることとは性質が異なるように思う。私にとって、知らない人から褒められることは「量」に属しており、良く知っている人から褒められることは「質」に属しているのだろうとも思う。


量的なものを欲していないわけではない。あるに越したことはない。しかし、それを実際手に入れていないから、憧れているという部分は随分あるように思う。有名になればすべてがガラッと変わる、というような憧れ。


嬉しい、ほっとする、しんみりするような楽しさ。そういったものは、思っている以上に静かな、派手ではないもののようにも思う。どんなに金銭的に豊かでも、実際には今と大して変わらないことに喜びを感じるようにも思う。

もちろん、食うや食わずの状態で、「屋根の下で暖かいご飯を食べられる」という根本的な部分が満たされていない場合には話は別である。しかし、その先にあるものは、マズローの欲求段階説ではないが、量的なものではあまり変わらないのではないか、とも思う。


見知らぬ人から評価を得ようとするよりも、例えば私が行っている勉強会に来てくれている学生を大切にし、友人を大切にし、そして家族を大切にすることが、結局は中心になることなのだろうとも思う。何せ、“有名”になった際に褒めてもらいたい相手が、上述の人々なのであるから。


こうして書いてみると案外月並みな結論で嫌気がさすものの、私としては「そうか…」と、妙に腑に落ちたところがあった。マズローの欲求段階説は一応知っているし、承認欲求の先に自己実現の欲求が来ることも知ってはいる。しかし、知っていることと、「腑に落ちる」ことは違う。少なくとも、承認欲求だけでは私が求めるものには到達しないらしい、ということを、頭ではなく「腑」で、少し感じることができた、ということである。



まぁ、そうは言っても、有名になりたいし、ちやほやされたい。そして、有名になった後で、また同じ内容を口にしてみたい。




スポンサーサイト

7/3(水)5限 14−101 水曜の会

7月の水曜の会は、

7/3(水)5限 14−101
「学習障害について」

です。
よろしくお願い致します。


6/12(水)5限 14−101 水曜の会(6/3追記)

皆様

6月の水曜の会は、

6/12(水)5限 14−101
「ストレスについて」

です。
テーマはまだ決まっておりませんので、決まり次第、ご連絡致します。

よろしくお願い致します。


プロフィール

ina

Author:ina
水曜の会用 文書置き場

カテゴリ
写真保管庫
最新記事
月別アーカイブ
検索フォーム
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。