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仕事をする意味

仕事をする意味とは何か。

そう質問をされ、随分いろいろ考えていた。多分、それぞれの仕事が持っている、社会に対する「役割」のようなものはあるだろう。しかし、その「役割」が持つ意味、さらに言えば、社会のシステム自体が持っている意味、となってくると、そこに意味があると言えるのかどうか、分からなくなってくる。そこまで来てしまうと、「生きている意味とは何か」という質問につながってしまう。もしかしたら、仕事をすることと、生きることというのは、切り離して考えない方が良いものなのかもしれないが。


かつて、公務員として役所で働いている方が、公務員の仕事の「やりがい」について語ってくれたことがあった。

「公務員、特に役所での仕事の場合、それぞれの人が持っている役割は、大きなシステムの歯車でしかありません。その歯車が直接噛んでいるとなりの歯車に対して、どのような意味を持っているのか、それを考えてもたいしたことは見えてきません。そうではなくて、それら多数の歯車が緻密に動いて、それが正確に噛み合ったとき、全体の大きなシステムが動いているということを知ると、壮大な気持ちになり、自分がその大きなシステムの歯車として動いていることに、誇りと、そして感動すら覚えます。それが、公務員の仕事における意味かどうかはわかりませんが、私は、歯車であることが卑小なことであったり、情けない事だとはあまり感じたことはありません。ただ、そういった、システム全体を見通す事ができない人にとっては、自分がいったい何のために歯車として働かされているのだろう、と思ってしまうのかもしれません。自分の発明を発表できるわけでもないし、手柄を独り占めできるわけでもない。しかし私は、歯車であることにつまらなさや卑小さは感じないのです」。

それはあくまで、その人の感想であり、全ての公務員の仕事に当てはまるわけではないだろう。しかし、そういう捉え方があるのか、と、私は感動を覚えた。


私が何のために教職課程を教えているのか。何のためにカウンセラーをしているのか。理由はいくらでもつけられる。しかし、それらは「暫定」のものである。口に出したとたん、何となく空虚な、何となく嘘をついているような、奇妙な感覚に襲われる。


有名になること、世間で名を挙げることが「意味」だととらえているならば、あるいは他者よりたくさんの金銭を稼ぐことが「意味」だととらえているならば、先ほどの公務員の方が言っていた内容というのは、ほとんどナンセンスなのだろう。しかし、ならば「有名になる意味とは何か」「お金を稼ぐことの意味とは何か」と問い続けて行くと、やはり最終的には「生きている意味」に行き着いてしまうのではないか、と思われる。


では、生きている意味とは何なのか。もちろん、私にはわからないものではあるが、「もしかしたら」と思うものがある。


最近、村上春樹が訳した、レイモンド・チャンドラーの「リトル・シスター」という本を読んだ。一応、探偵ものなので、推理小説の1種である。誰が犯人なのか、事件の真相は何だったのか、ということに思いをめぐらせながら、読み進めて行く。最後まで読み終わると、「あ…。最初の方で、あの女性がとった行動は、こういう意味があったのか…」など、見えてくるものがある。しかし、例えば前半3分の1を読んでいる最中には、そのことに気づくことはできなかっただろう。気づく人もいるかもしれないけれど、最後まで読まなければ、確証は持てないだろう。

生きている意味というのは、あるいは仕事をする(自分自身にとっての)意味というのは、そういうものなのではないか、とも感じる。私はもうすぐ33歳になる。もし幸運にも70歳まで生きることができるとしたら、今およそ半分まで来たことになる。つまり、私の「小説」の半分に来たところだ。この先に起こることを予測することはできても、実際に読むことはできない。今まで起こったこと、私が今している仕事、多くの失敗、いくつかの成功、そういったものが、この先の展開でどのような「意味」を持つことになるのか、それは「後になって」からしかわからない。


だからといって、「後からしかわからないのだからいい加減にしていて良い」ということではないだろう。私は「暫定」であったとしても、仕事をしている意味、生きている意味を、何とか見つけてみようとする。しっくりくるのは、きっと死ぬ直前だけなのだろう。それでもかまわない。むしろ、だからこそ面白みがある、とも言える。

私は、有名になるとか、名を挙げるとか、そういったことが「どうでもいい」と思っているわけではない。きっと、有名になればうれしいと感じるだろうし、誰かから褒められれば、それはそれでうれしいと感じるだろう。しかし、最後に私の物語が閉じるとき、その物語が「味のある」ものであって欲しい、と願っている。どこかの「お金をかけた」成功物語が持つような陳腐さや薄っぺらさではなく。染みるような、白黒はっきり決めることができないような複雑さを持った、そういう物語であって欲しいと願っている。


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2011秋学期 予定

月:1・2・3限 研究室
火:居る場合あり。
水:1限(学習指導論 1C-302) 2限(学習指導論 1C-302) 3限(オフィスアワー)
木:おりません。
金:2限(研究室) 3限(教育心理学 1B-306) 4限(学習指導論 1B-306)
土:清水校舎

よろしくお願い致します。



月刊生徒指導 2011年 10月号に記事が掲載されています。

月刊生徒指導 2011年 10月号に、私の書いた
「SCからみた教育相談と生徒指導の連携」という記事が掲載されています。

この雑誌、Amazonで買えたんですね…。

あまり書店で並んでいるのを見たことはありませんが、
お手に取る機会がございましたら、触れてみて下さい。

10/12(水) 水曜の会

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

次回の水曜の会は、

10/12(水)
5限
11−302

の予定です。
9月は水曜の会がございませんので、ご注意ください。

よろしくお願い致します。

プロフィール

Author:ina
水曜の会用 文書置き場

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